智の木協会活動報告

智の木協会の活動報告ブログです

「第5回ヘレンドカフェ」(2019年11月9日開催)のご報告

講師:滝本 裕次 氏
      (株)SCブレイン 代表取締役
  「社団」テラプロジェクト 総合企画室長
   前 光華女子学園 事務局長補佐兼企画財務部長
   元 大阪ガス(株)和歌山地区支配人
   智の木協会 会員

 

 講師に滝本裕次氏をお迎えし、「大学を取り巻く環境変化」-私学経営の現状と今後の課題(光華女子学園を事例に)-と題してご講演いただきました。

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 光華女子学園は、大谷智子裏方によって宗教的情操豊かな女性を育成すること、京都にも親鸞の教えに基づく女子教育の場を設けることで、昭和14年に創立されました。昭和15年光華高等女学校の開学に始まり、昭和19年には光華女子専門学校の開学、昭和22年から25年にかけて新制中学・高校・短期大学が誕生し、昭和26年に学校法人光華女子学園が発足しました。昭和39年に大学が設置され、女子総合学園が完成するに至りました。2019年5月現在、大学院生も在籍しています。 
 しかし、日本を取り巻く社会構造の変化によって、これまでのような学園経営では対応できなくなってきた現状についてお話いただきました。少子高齢社会において大学が生き残るために、女子大学の共学化が2000年頃から論議されたそうですが、それでも超スマート社会の到来(IOT、AI、ロボットなど)と少子化が進み、女子大学のみならず、定員割れの大学が多くなり、大学は学部の見直し、大学間の統廃合など工夫を迫られる事態に直面していることを説明されました。今後、AIが人間に代わって仕事をこなす職業は無くなる可能性が高いことを示され、これからの子どもたちがどんな学部を選ぶべきなのかを考えさせられました。そんな中で、いつの時代にも人と関わる職業、また、AIやロボットなどの先端機器を修理する技術士は必要とされ続けることも学びました。
 人生100年時代の到来で高齢者が働く時代となり、「学び直し」や「副業」が推奨されることから、そこに大学の新たな役割を見出すことができるとの見解を示されました。

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第2回 智の泉談話会 報告

1.開催日時  2019年9月21日 11時~13時30分
2.開催場所  「社団」テラプロジェクト Aゾーン
3.参 加 者   個人・アカデミア会員:7名
         外部参加:3名 
         事務局:3名
4.話題提供者 株式会社 甲南保険センター
         代表取締役 社長 武田一男 氏
5.談話会

 

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武田一男 氏

・株式会社 甲南保険センター 代表取締役 社長
・I I A B 日本協会
 前CEO(Independent Insurance Agents & Brokers of Japan)
 現在、Executive Adviser
・智の木協会 企業会員

 

(1)話題提供(概要)

 日本では、「リスク」は危険等と訳されている。しかしリスクは一定時間が経過した時の予測と結果の差異と考えるべきである。言い替えれば、特定の状況において自然に存在する起こり得る事象の変動である。
 リスクにはそのリスク事象が具現化すれば損失だけが発生し、誰も利得しない純粋危険と、そのリスク事象が現実化すれば損する人と得する人が生まれる(損失と利得が発生する)投機的危険の二種類がある。
リスクに対処するためには、リスクマネジメントを行うことが望ましい結果を生む事が多い。
 まず、リスクを発見・確認・分析し、頻度、損失の大きさを測定する。
 次に、対策方法を選択する。
 リスクの対策方法には、損失の発生頻度と損失の大きさを削減するリスク・コントロールと、損失を補てんするための金銭的な手当てを行うリスク・ファイナンシングがあり、両者を組み合わせる。
 リスク・ファイナンシングは、資金を積み立てる事や引当金等で、損失を自己負担する「保有」と保険等で金銭的な損失を第三者に負担させる「移転」とに分かれる。
 日本ではリスクマネジメントの企業経営への導入が遅れていた。
 従前は、リスクマネジメントの欠如に拠って生じた損失を雑損に計上し、有価証券報告書に記載していた。しかし、現在においては、リスクマネジメントを行わなかった取締役の責任が追及される時代となって来た。監査等で、株主に利益を毀損したと見做され社長等の個人の債務となり、社長の相続人が相続放棄に追い込まれる事もある。

 

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 保険は金銭的な損失を第三者に移転させるリスク・ファイナンシングの重要な手法である。
 しかしながら、大正時代には保険を業となす者に対する揶揄として「袴穿きたる詐話師」と言われていた時節もあった。
 現在でも、火災保険加入者から満足な保険金を受け取れずに裏切られたと思われる事例が多くある。たとえば、建物の火災保険のケースでは、約款の比例填補条項を適用しない特約を付帯せずに契約した場合、建物の保険価額と建物に付保された保険金額の割合に損害金額を乗じて、損害保険金が支払われるため、仮に建物の保険価額が1億円の建物に全焼する事は無いからとの理由で5000万円を建物保険金額として契約した場合は、罹災が在り建築業者の復旧のお見積りの金額が2000万円と積算された場合、上記の計算式から分母が1億円、分子が5000万円となり損害金額が2000万円と積算されているので、受け取れる損害保険金は半分の1000万円となり、5000万円も掛けているのに何故1000万円しか貰えないのと言った不満が常に出ることになる。
 この事柄の原因は幾つかあり、常識的な時価について認識の錯誤が在る。
 時価とは建物であれば以前に建てた時の建築金額ではなく、現在の新築費が基準となり、古い建物だから保険金額も低いとの錯誤がある。
 現在は殆どの契約が新調達価格基準で契約でき、尚且つ実損を填補する契約を選択できる環境にある。
 保険に入る(保険を購入する)時には、先ず、リスクマネジメントの初期段階であるリスク・サーベイ(リスクの発見・確認・分析と頻度・損失の測定)を行い、リスク・サーベイの結果に基づいて、特約等を決める事が重要である。
 例えば、落雷損害においては、その損害の殆どが基本約款で担保されているが、什器備品等ではCPUのハード・ソフトは別のカバーが必要で、火災保険では不担保となっている。
 近年は集中豪雨や台風に拠り各地で水害が発生している。
 浸水すると汚水(下水)が床下や床上に入り込み、水が引いた後も堪えがたい臭気が残る。黴の発生や臭気を損害と見做す特約の付帯が必要となり、特約の付帯が無い場合は多額の費用の発生となる。
 また、最近は自治体や学校の推薦に拠り、自転車保険が販売されている。
 しかしながら、自転車保険の多くは自転車に搭乗中のみの加害責任を担保する契約であり、自転車を手押ししている時や駐輪後の転倒事故は担保の対象外とされている。従って混みあった歩道で自転車を手で押している時に、人に衝突させ相手を負傷させても補償はされない。
 同様に、一本脚スタンドで駐輪している自転車が転倒し、たまたま歩いていた小児にぶつかっても補償されず、自転車をその場に駐輪した者や自転車の所有者等が治療費等を負担する事となる。
 リスクには、思いもよらない事がある。
 企業・団体の継承にも大きなリスクがある。
 例えば、宗教法人が反社会的な団体に狙われて、墓が無縁墓地に整理されて墓地が切り売りされている。
 保険会社は、自社に有利な事しか顧客に告げない事がよくあるので、「保険会社を信用してはいけない」、企業であれば「上の立場でも、契約書は必ず自分でチェックする(部下が読んでいると思っていると、落とし穴に墜ちる)」事が必要である。

 

(2)質問など

Q.河川沿いの宅地を購入し家を建てる場合に注意すべき特約について教えてもらいたい。
A.宅地を造成する前の地図で、以前の土地の状態を確認する事が重要である。
 古地図等があれば、洪水歴や土地の履歴がある程度判る時がある。
 本来は、宅地購入前にすべきである。

 

Q.傾斜地のマンションで、降雨が多いと近くの側溝から水が敷地内に入り込む。
対策をマンション管理組合で協議するが、方法が解からない状況で終わってしまう。
A.先ず、側溝の所有者・管理責任者を調べる事が重要である。
 側溝の草取りや土砂の掃除は大切で、管理を怠ると側溝や桝(ピット/会所)から溢れた水が法面を崩したり、場合に拠っては建物基礎部が洗われたりする。
 阪神間で多い傾斜地の宅地においては、宅地造成で切り盛りした後の切土地盤か、盛土地盤かで地盤の強さが全く異なる。
 可能であれば、盛土地盤の宅地やマンションを購入しない方が望ましい。
 切土地盤か盛土地盤かは、宅地造成前の地図や古地図で調べる事が出来る。

 

以上

 

事務局後書

 話題提供(概要)の他にも、日本人がお人好のために、日本の保険会社が海外で騙されたり、大きな損害を被ったりしたお話を聞かせいただきました。
 その繋がりで、お人好の日本人を造ってしまった一因は、歴史教育明治維新の前後(どうして日本だけが植民地化を免れたか)から太平洋戦争後(どうして北海道が旧ソ連に占領されなかったのか)の期間が抜け落ちているためではないかと言った話題に広がりました。

智の木協会 創立記念講演会(11周年記念)レポート

創立記念講演会のご報告

・日時:2019年5月25日(土) 午後1時~3時

・会場:富国生命ビル4階 「社団」テラプロジェクト Aゾーン

司会:小林 裕子 智の木協会 主幹 

 

開会のご挨拶:豊田 桃介 氏 智の木協会専門委員 清水建設株式会社 開発営業部長

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 創立11年目を迎えられたのは、皆様方に活動のご理解とご支援をいただいたお蔭です、と感謝を述べられました。
 講師とタイトルについては「難しいお話ではなく、会社、仲間や家族とお酒を飲む時に、ちょっと雑学でお話できるような小話をたくさん聞かせていただけるのではないかと期待しています」また「今日は、皆様と一緒に楽しみたいと思います」と創立記念に相応しいお言葉をいただきました。
 そして、12年目に入った智の木協会の活動を、これからもご支援賜りたいとお願いされました。

 

智の木協会の活動報告:小林 昭雄 氏 智の木協会 代表幹事

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 初めて参加された方々のために、智の木協会の活動について小林代表幹事よりパンフレットに基づいて説明がありました。

 「ウィキペディアには智の木協会の創立に関する歴史が、また、実施していった項目が書いてあります。2008年の創立当時には“こんなこと、できるのかな?”というような項目が並んでいますが、これまで「社団」テラプロジェクトとコラボレーションしながら確実に進めてきています」と評価されました。ここで、智の木協会誕生の際に特に多大なご支援をいただいた月桂冠(株)様にお礼を述べられました。
 智の木協会が理念として掲げている「植育」については、商標登録できたことの報告がありました。多方面で「植育」という言葉が使われていますが、実はこの言葉は智の木協会が発想した言葉であることを強調され、幅広い活動も含めて、智の木協会は徐々に認知度が増していることもお伝えになりました。
 配布資料の国際サイエンスクラブの会報について説明がありました。大阪観光局溝畑様へのインタビューを代表幹事がまとめ、投稿したものです。大阪を売り出す形として、インバウンドの方々が日本で何を学び何を持ち帰るか考える中で、「おもてなしの精神」「質の高いサービスをやっていきましょう」という話にまとまり、「みどりでおもてなし」「Green Hospitality Osaka」をキーワードとすることに決まったと伝えられました。智の木協会も今後は「植育」の活動と共に工夫を凝らして、みどりに関連する産業の発展まで繋がれば、と期待されました。
 これまで、智の木協会と「社団」テラプロジェクトが国際的に進めてきた活動の中に、ヘレンド社とのコラボレーションがあり、ヘレンド社がCSRの一環として智の木協会の活動賛同してくださり、MIDORI-SANTAのロゴ入りカップ&ソーサ―を作っていただくことが可能になったと説明されました。国内では、モンベルの寄付付 One Green Tシャツを4,000枚作っていただいたところ、ほぼ完売したとの報告がありました。みどりの基金が返金されるそうです。
 智の木協会が発想した事柄を「社団」テラプロジェクトが実行する形として、10月12日~13日に道頓堀フェスタに参加、みどりのサンタの服装をして船下りを、11月初旬にはGreen Hospitality Osaka の国際シンポジウム開催を計画していることをお伝えになりました。会場は、観光局、吹田万博会場の予定だそうです。資金が集まれば、シンガポール ガーデン バイ ザ ベイからも講師を招くことが出来ます、と代表幹事。また、クリスマスシーズンには、赤いサンタとの共演、11月半ばには大嘗祭がありますので、そこに向けて稲通りを作る計画がある事も伝えられ、12年目の智の木協会は「外」に出て活躍することを目指していきたいと抱負を述べられました。

 

乾杯:小菅 善昭 氏 智の木協会 事務局長

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 創立11年をお祝いして、乾杯しました。創立12年目を迎えるにあたり、これまで恙なく歩んでこられたことに対するお礼と、今後とも変わらないご支援をお願いされました。
(乾杯酒:本麒麟発泡酒

 

講演:大河内基夫氏 智の木協会 理事
(前 地方独立行政法人 大阪府立環境農林水産総合研究所 理事長、キリンビール(株)技術開発部長、白鷹(株)製造部長歴任)

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題目:「ビールとワインと清酒の雑学小話―お酒をおいしく飲むために―」

 「雑学小話」とは、何の役にも立たないが、知っていると面白い、友人とお酒を飲む際の話題になるかも、より楽しい酒席になるのでは、といったところです、と飲める人も飲めない人も聞いて楽しいお話の始まりでした。大河内氏は、キリンビール(株)で培われた専門知識を、また、ビールの本場ドイツで学ばれたことを基に、誰にでも理解できるように3種のアルコールについて平易に解説してくださいました。
 本麒麟発泡酒)について、「ビールのような味でビールのような缶に入っていますが、ビールではありません。発泡酒に1滴でもアルコールを添加すると雑酒になり、酒税が安くなります。また、増量酒とも言われています」と説明されました。よく似たものに“のどごし生”がありますが、こちらは穀物不使用のお酒とか。このようなお酒が生まれたのは、世界的に麦芽がなくなったとしてもビールと同じような健康に良い物を造る、安く造るということが目的だったようです。

 

原料による酒類の分類

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 アルコールは糖類から造るものとデンプンから造るものに分類されるとお話になり、分かりやすく教えていただきました。糖類から造る材料としては、ブドウ、リンゴ、蜂蜜、樹液(ヤシ)、砂糖、馬乳があり、原料そのものに酵母が付着していて自然に発酵するため造りやすく、醸造酒と蒸留酒が造られます。雑学として、ブドウが生産されないヨーロッパ北部では、蜂蜜からお酒を造っていたようで、honey moonの語源について解説していただきました。デンプンから造る材料としては、麦、米、芋、トウモロコシ、穀物、珍しいところではリュウゼツランがありますが、発酵の前に必ず糖化することと酵母を働かせることが必要です、と説明されました。こちらも、醸造酒と蒸留酒が造られます。

 

ワインの歴史

 ブドウは果物の中で最も水分が多いため、皮袋に入れて持ち運んでいるうちに、表面についている酵母の働きにより発酵が始まり、ワインができたと言われています。

 

ワインの発展 1 エジプト

古王国時代(BC 2686-2185)
 北部地域の5銘柄のワインが、墓内の供え物リストに記されていたそうで、ワインは一部のエリート層のための高級品だったようです。

新王国時代(BC 1570-1070)
 ワインを熟成させるとおいしくなることが知られており、ツタンカーメン王の墓のワインの壷には、収穫年が書かれたラベルが付けられていたそうです。

・セッタイト(BC 1680-1180)
 赤いワイン、良いワイン、純粋なワイン、蜂蜜入りワイン、甘いワイン、酸っぱいワイン、新しいワインなどの語彙があります。

 

ワインの発展 2 ギリシャ・ローマ

・ワインをエーゲ海の海洋民族から受け継いだエーゲ文化では、西アジアとは異なり、タンパク質源が羊肉から魚に、脂肪が獣脂からオリーブオイルに変わったことで、ギリシャ人は食べ物に合わせて、ワインを水で割って飲んでいたそうです。
ローマ帝国ギリシャを併合した後、水で割ったワインを飲んでいましたが、甘くないワインができるようになり、割らずに飲むようになったそうです。本来、植民地ではパンの原料の小麦を作ってほしいわけですが、ローマ人は植民地でブドウの生産を進め、畑の取り合いになったそうです。

 

ワインの発展 3 ローマ帝国

キリスト教が、四世紀の終わり頃ローマ帝国の国教になりました。
カトリックのミサの参加者は、種無しパンをキリストの御体、ワインを御血として供食し、遊牧民はブドウの果汁と家畜の血で乾きを癒したとされています。乾きを癒すためのブドウの果汁から生まれたワインを神の血として飲むことは驚くことではなく、ワインはキリスト教と結びついてローマ帝国に広まったそうです。ドイツ、スロバキア等では、ワインを飲む文化が無かったようです。

 

ワインの日本伝来

 日本には1549年、イエズス会宣教師のF.ザビエルにより伝来、最初に赤ワインを飲んだ日本人は、薩摩の守護大名島津隆久と言われています。カトリックのミサは、茶道のお点前に大きな影響を与えたと興味あるお話でした。茶道では、ホスチアがお菓子に、赤ワインは緑の濃茶に代わりましたが、供食儀式としての形は残ったそうです。1974年には、山梨県甲府広庭町の僧侶、山田宥教らが大法院の境内で甲州産や山ブドウを原料にワインを醸造したそうです。
 ワインは身体にいいということで、苦味のブドウ酒から薬用ブドウ酒に、そして甘味のブドウ酒が生まれサントリーのポートワインがたくさん飲まれました。他にも、ペプシネブドウ酒(ペプシン入り)、古加ブドウ酒(コカイン入り)が造られたそうです。

 

ビールの始まり

 BC 10,000年頃、農耕が始まり、レバント地方(東部地中海沿岸地方の歴史的な名称)で非脱落性の大麦が生まれ、洪水などで濡れた麦(発芽した)を乾かし、煎っておかゆを作ると甘かった、食べ忘れたおかゆを食べてみると、気持ちよくなった(アルコールができていた)などの経緯がありました。
 BC 4400~3000年頃、エジプト先王朝時代、既に地域社会のビール生産拠点があったのではないかと思われる醸造址が見つかっていますが、メソポタミアの方でもビールを造っていたそうです。

 

ビールの発展

 BC 3200~3000年頃、メソポタミアウルク後期、9種類のビールが醸造されたことが分かっているそうです。大麦、白、黒、赤、甘いビール、水割りビール、100対50、三分の一ビール。
 そして、メソポタミアに「心地よいものはビール、いやなものは遠征」という格言があることもお話になりました。
 BC 1793年ハンムラビ法典の108~110章には、酒屋女主人の代金回収方法、居酒屋で反逆の謀議が行われた際の通報義務などの文章が残っているそうです。
 BC 約600年、新バビロニアでは、ホップ入りのビールがあったらしいです。

 

古代ビールの伝播

 二つの経路を使ってヨーロッパへ伝播しました。地中海を通ってイベリア半島へ伝わったルートは、ブドウが収穫できるためワインと競合したようです。北の方、ウクライナを通ってドイツの方へ伝わったルートは、ブドウ栽培よりもホップの生産に適した所だったため、ビールが伝播していったとのことです。
 シュメール初期王朝時代の円筒印章を示され、その絵の様子から、当時からビールは皆でわいわい言いながら飲むもの、ワインは形式ばって偉い人が飲むものと読み取れるとの説明でした。

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キリンビール 古代エジプトビール ~古王国時代のビール再現~ 

 キリンビールさんが壁画に描かれていた絵を忠実に再現して、現代に蘇らせることを試みられたビデオを見せていただきました。道具は全てエジプトから取り寄せられました。
 材料は、大麦麦芽、デュラム小麦、干したナツメヤシ、干しブドウです。
 水に漬けておいた干しブドウを壷に入れ、ナツメヤシの実を潰したジュースを加えると、干しブドウについていた野生の酵母がその糖分を食べて増殖するそうです。この酵母を更に増やすために、古代ではパンを活用したとあります。「酵母を乳酸酸性下で増やすということは、日本酒も同じで、パンが醸造と結びついていました」と大河内氏。こうしてできたビールは、炭酸ガスをほとんど含まず、現代のビールのような泡はほとんど立たず、アルコール度数はおよそ10%と高く、乳酸の酸味とほどよい苦みがきいて白ワインのような飲みごたえがあるそうです。
 キリンビールさんは、古王国時代のビールの味を追求するため、古代の小麦、エンマー小麦を植物開発研究所で栽培しておられ、ビールの仕込みに十分なエンマー小麦が収穫できる2004年の春には、さらに当時の味に近いビールが蘇るものと期待されています。
 後に、“古代エジプトビール”は商品化され“やわらか YAWARAKA”の名前で販売されたそうです。

 

米酒の始まり 1 中国 殷期

 BC 1600年頃、中国、殷期、麹櫱は、玄米の穀芽を乾燥して粉末にしたもので、麹(櫱=げつ)にカビを生やさせたもの)が用いられたとされています。メソポタミア麦芽がインドを経由して中国へ、中国で麦芽から稲芽へ、稲芽にカビが生じて麹櫱となりました。

 

米酒の始まり 2 中国から日本へ

 BC 1000年頃、中国春秋戦国時代、周礼(周の官僚制度)には、天官家宰の中に王室の酒需要を満たすために、酒正、酒人、漿人の位が記されているそうです。
 BC 700-500年頃、日本は弥生時代、中国は東周の時代、江南で黄麹菌の米麹で醪酒を醸造していたことが分かっています。「戦乱を避けた江南の人が稲作と酒造りを日本に伝えたと仮定すれば、日本酒に用いられる麹が黄麹菌の米麹であることが説明できます」と大河内氏。

 

米酒の始まり 3 日本での発展

 飛鳥―奈良時代長屋王邸址から発見された木簡に、酒、酒人、酒醸所という語と共に麹があり、米と麹と水の配合が記されているそうです。
 平安時代延喜式(927年)の第40巻造酒司の項に、酒造りの記述があり、櫱と小麦萌が用いられていたそうです。

 

酒類の糖化・発酵方法

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単発酵・・・ブドウ酒、ハチミツ酒、リンゴ酒 

単行複発酵・・・ビール、ウイスキー
        原料中のでんぷん質を糖化してから酵母が発酵を開始する。

並行複発酵・・・清酒、焼酎
        原料のでんぷんを糖化しながら同時に発酵を行う。
        糖分の濃度が一切高くならない。酵母は発酵しやすい。

 

米酒の酒母 BC 1000年頃 中国 春秋戦国時代

 漿人とは、王に供する六種類の飲み物(六飲)を掌り、六飲とは、水、漿(果汁の搾汁)、醴(甘酒)、涼(醴が酢酸発酵したもの)、医(梅酒)、障と記されているそうです。漿は臥漿、穀類を生あるいは蒸煮して清水に漬して乳酸発酵を行わせた上澄みのこと。六飲の中で漿を最初に造り、中国では古くから酒造りで漿が重要である、と言われたそうです。

 

生酛(きもと)の原理

 室町時代、御酒之日記(1450年前後)に、乳酸酸性下で酒母を育成した記録があるそうです。菩提泉(南都菩提山正暦寺で造られていた名酒)の醸造方法として、「白米を笊ご飯と共に浸漬して乳酸発酵を行い、三日目に漿水(乳酸を含む酸性の水)を汲み取る」とあるそうです。
 室町―安土桃山時代、多門院日記(1478年~1618年)でも、米、麹、水を混合して9日から27日間かけて酒母を造っていたそうです。

 

清酒醸造での酛(酒母)の種類

 「生酛系酒母で育った酵母は、アルコール耐性が大きく、そのため、生酛系酒母酵母は、発酵の終盤まで発酵力を維持し、グルコースの少ないお酒が出来上がり、辛口の酒質になります」と大河内氏。更に、発酵が終わっても死滅せず、酵母の菌体内から漏出する成分(アミノ酸など)が少なく、きれいな酒質となるそうです。
 清酒醸造の大敵である野生の酵母を死滅させるのは、亜硝酸イオン、高い糖濃度、低温、乳酸、低PHの5条件だそうです。

 

ビール造りとお酒造りの共通点:乳酸酸性下で酵母を増やすこと。

 

ビール醸造の特徴 ワインと清酒に対して

 1.ホップという香草、薬草を使う。
 2.発酵が終わったら酵母を回収して、繰り返し使う。
 3.清酒、ワインと比べて、糖類と有機酸が少ない。
 4.一般的には、大きな工場で醸造される。

 

ビールに使われた薬草・香草の薬効

 ホップ以外に使われていたハーブとしては、ベイベリー、セージ、ヤロウ、ローズマリー、アニス、ニッケイ、ニガヨモギ、ハッカ、チョウジなどがあるそうです。ビールの原料に薬草やハーブが使用されていたというお話は、非常に興味があります。
 薬草とハーブの配合物はグルートと呼ばれ、グルートの配合は秘密にされ、国王が販売権を独占したそうです。グルートで醸造されたビールは、グルートビールと呼ばれ、グルーとの中でヤチヤナギが主流になってきたそうです(ホップもグルートの一つだった)。

 ヤチヤナギ:(Mirica gale)北ヨーロッパの低温地域(沿岸、河口域)に自生している植物。北海では、イギリス、フランス、オランダ、ノルウェーバルト海では、デンマーク、ドイツ。イギリスは全土、北ヨーロッパの海岸、河口域には今でも普通に自生している植物。葉や実を使って造られている。

 

中世のビールの醸造

  • 5世紀・・・主婦が造っていた。
  • 8世紀・・・銅製の釜による効率化、職業醸造家の出現。
  • 9世紀・・・修道院酵母が入ったままのビールを飲んでいたので体に良かった。修道院は技術革新の中心地だった。
  • 11-12世紀・・・商業醸造の発展。
  • 13-14世紀・・・都市の市民醸造
  • 15世紀・・・修道院と市民醸造所が対立した。

 

ホップビールの隆盛 ホップは、新石器時代からヨーロッパにあった。

 9世紀、ホップの使用が盛んになり、ホップだけのビールが醸造されだしたそうです。13世紀初期~中期になりますと、ヤチヤナギが自生する地域ではグルートビールが造られ、自生地以外ではホップビールが造られたとあります。13世紀後期になりますと、北ドイツでホップビールが醸造され、輸出されました。オランダではグルートビールによる税収の減少を恐れ、ホップビールの製造を禁止しましたので、ホップビールの醸造が遅れたそうです。イギリスではホップを使わないビールをエールと呼び、ホップを使うビールを「ビール」と呼んだそうです。

 

ホップの葉と毬花

 ホップの原産地は中国で、メソポタミアから北へ広がりました。ヨーロッパではハーブとして古い絵に描かれているとか。50~60年前までは手摘みで収穫し、日本では30年前位から機械化されています。ホップには苦みがありますが、ホップの苦みだけは一切毒性が無いそうです。
 ホップはペレット状にして運搬しますが、酸化するため液体CO2で有効成分のみ抽出して缶詰で運ぶそうです。
 「酵母が上に浮かぶ、あるいは下に沈むので、それを回収して再度使います。ワインも清酒酵母をもう1回集めて使うことはせず、この点が大きな違いです」と大河内氏。

 

ビールの器

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 大河内氏こだわりの器を見せていただきました。ヨーロッパ、とくにドイツでは各種こだわりの器があるようです。
 ドイツの居酒屋では、自分専用のクルークを預けていたそうで、クルークの蓋は目印だったそうです。

 

醸造酒と蒸留酒

  ビール、清酒、ワインは醸造酒、身体のためには醸造酒がよいとされていますが、日本ではスピリッツタイプ(蒸留酒)の消費が多いそうです。税金が安いことがその理由とか。

 

スロバキア ワインについて (株)マイティワイン ソムリエ 三好氏

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 マイティワイン様は、智の木協会の企業会員です。イタリア、フランスに比べ、スロバキアワインは日本国内での流通量が少なく、認知度が高い方ではありませんが、ブドウ生産の北限であり、質のよい原料を使用して最先端の設備で造られています。
 (株)マイティ様は、2018年10月にスロバキアワイン専門店Dufam(ワインショップ&ワイン バー)をオープンされましたので、ソムリエ三好氏からスロバキアワインの解説をしていただきました。また、智の木協会会員のみのセールの情報をいただきました。
 本日の試飲ワイン

  • 白:ヴェルトリンスケ ゼレネ(ムルバ スタンコ)・・・さっぱりした白ワインで、国内外で評判が良く、国賓級の人に提供されるワイン。繊細な日本料理に合う、と評されています。
  • 赤:フランコフカ モドラ・・・代表的なスロバキアの赤のブドウで、Dufamにはこのブドウだけで7~8種類のワインがあるそうです。

 

閉会のご挨拶:大塩 裕陸 氏 智の木協会 理事

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 「マイティさんのワインをいただきながら、大河内氏のお酒のお話をお聴きし、大変幸せな気分になりました」また、「お酒は楽しく飲むに限ります。今日の講演には楽しくなるような蘊蓄がたくさん出てきましたので、今後は話題一杯で楽しく飲めると思います」と、いつもながらのにこやかな口調でお話になりました。
 智の木協会につきましては、「元号も変わりましたので、これから新しいステージに向かっていけるのでは」と、今後のご支援をお願いされました。

 

試飲アルコール

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お土産

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「第4回ヘレンドカフェ」(2019年7月27日開催)のご報告

 羽衣国際大学教授 中井久美子先生を講師にお迎えし、「世界の家庭料理とお菓子」のタイトルでお話いただきました。中井先生は、「社団」テラプロジェクトが定期的に開催しております「スイーツマルシェ」のリーダーでもあります。

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 「世界の家庭料理とお菓子」がライフワークでもあります、とおっしゃるくらい大好きな飛行機に乗って、多くの国々を旅して、それぞれの国の料理やスイーツを実際に食されたり写真を撮ったりなさっています。
 今回はその中からウィーンの有名な「ザッハトルテ」から始まり、アジア、ヨーロッパなどなど、あまり聞いたことのない料理までご紹介していただきました。

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 伝統的なスイーツに加え、次々と新しい製品が生み出されていくスイーツの世界、この度のお菓子「桃太郎」は、ケーキ工房フローレンス様作、桃を丸ごと一つ使った贅沢なお菓子です。今や、ネットでも評判で、期間限定商品として定着してきております。
 8月、桃が入手できる間中、販売されるそうです。

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第1回 智の泉談話会 報告

1.開催日時:2019年7月6日(土)12時~14時

2.開催場所:「社団」テラプロジェクト Aゾーン

3.参加者 :企業賛助会員:3社 個人会員:7名  外部参加:3名 事務局:2名

4.話題提供者:高野化成工業(株)代表取締役社長 山田 繁雄 氏

5.談話会(概要)

 (1)趣旨説明(事務局)

 智の木協会の新しい活動として「智の泉談話会」を開催することになりました。
 智の木協会の企業会員あるいは個人会員の方々に話題をご提供いただき、それを基に「あーでもない、こーでもない」と話し合いながら交流を深めていきます。

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 (2)話題提供

 高野化成工業(株)では、厚さ2μのフィルム印刷を行っている。厚さ2μというのは、サランラップの1/5から1/10の厚さで、スマホの画面の黒い部分等に使われている。販売先は某大手メーカーで、高野化成工業には営業部隊が無い。
 他に、(株)上蓮製麺と(株)office FUKUROUを経営している。(株)上蓮製麺は、半田手延べ麺を製造している。(株)上蓮製麺は、高野化成工業(株)の幹部の実家だったが、経営難に陥った。幹部に辞められるとこちらが困るので、経営を手助けした。半田手延べ麺に野菜(ホウレンソウ、トマト、カボチャ、ニンジンの4種)を練り込んだ「caroday」を開発して、経営を立て直した。素麺は夏しか売れない商品なので、素麺をパスタのように夏以外でも食べるようにするためだった。野菜を練り込み栄養価をアップするとともに、色もカラフルにした。「caroday」を細かく切った「ママらくちん」は離乳食で、無塩で添加物が一切ないのでコープ自然派で取り扱われている。また、香港と上海でも販売している。(株)office FUKUROUは、AIによる作曲の開発、アーティストに対しての曲の提供を行っている。プロダクションのような仕事もしており、白井大輔(ワライナキ)やバイオリニストが所属している。
 何をやりたいとか特に目標を持っているわけではない。趣味も、仕事しかしないので、仕事が趣味ということになるのかも知れない。常に新しいこと、面白いことを探しているが、事業として成り立つかどうかは「飯が食えるか」を基準としている。

 (3)質問など

 ① 山田社長のお名前と会社名(高野化成)が違うのは、どうしてですか?
 高野化成は、元々は高野家が経営していました。経営が思わしくなくなり、創業者の遺言で再建のために高野化成に入社しました。経営が上向いたので退社しようとすると、銀行が「山田さんが手を引くなら、銀行は融資を継続できない」と宣言しました。このため、高野家も経営を私に任すことになりました。

 ② 米中貿易戦争と日本の対韓輸出規制によってスマホ産業では不透明感が強まっていると思いますが、経営者としてどのようにみておられますか?
 未だ、何かを判断する状況ではないと思っています。ただ、評論家が言うことは信用できません。バブルの頃、評論家たちが起業したようですが、ほとんど潰れて残っていません。

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6.事務局後書
 事務局の不手際で、参加者の自己紹介が長時間に及び、談話に十分な時間をとれませんでした。次回は、テーブルの配置を工夫し、話題提供、質問、回答、話題提供者からの質問など、双方向の談話が続くように配慮いたします。

智の木協会の活動 ~One Green Event~ (2019年6月30日)

 2019年6月30日(日)、「One Green Event」として「The Beatles TRIBUTE LIVE」がLOVE ME DO プランニングの主催によりナッジスタジオ ライブホールにて開催されました。
 出演者は、バルサミコ・アンド・ザ・ビネガーの方々。出演者、関係者の面々は、都市緑化推進One Green Tシャツ(mont-bell×テラプロジェクト)を着用し、参加者の皆さんに「植育」をアピールしました。
 このイベントの紹介とOne Green Tシャツの着用を勧めてくださったのは、智の木協会吉信勝之理事です。
 智の木協会大河内基夫理事は、「植育」を理念として掲げる智の木協会と、緑化推進の数々のプロジェクトを推進している「社団」テラプロジェクトについて説明しました。

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第13回グリーンツーリズム(2019年6月7日実施)

~和歌山 伊太祁曽神社参拝、中野酒造を訪れる一日~ レポート

 

 伊太祁曽神社は、和歌山市伊太祈曽(いだきそ)に鎮座し、神社には木の神様、「五十猛命(いたけるのみこと)」を祀ってあります。
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 第10回シンポジウム(創立10周年記念)で、禰宜の奥重貴氏に「木の国、こんにちは~木の神様のお話~」のタイトルでご講演いただいたことをきっかけに、「社団」テラプロジェクト主催「第一回名木シンポジウム」でもご講演いただきました。
「植育」を理念として掲げている智の木協会としましては、「木の神様」「植林をして廻った神様」を祀ってある伊太祁曽神社は、まさに智の木協会の活動を象徴すると言えるかと思います。
 伊太祁曽神社和歌山電鐵貴志川線沿いにあり、一度は貴志川線の廃止が決まりましたが、地元住民たちでローカル線を残そうとの思いから、岡山県両備ホールディングス(株)の小嶋光信氏に相談されました。この住民活動の中心的存在が奥氏でした。
 小嶋氏には智の木協会、第7回シンポジウム(平成26年、2014年)でご講演いただき、貴志川線を残すことやたま駅長のこと等お話いただきました。その時点では伊太祁曽神社と結びつきませんでしたが、奥氏のご講演で全てが繋がりました。
 この度は、まず、バスで貴志川線貴志駅まで行き、ネコの形の駅舎やニタマ駅長の写真を撮ったりした後、「たま電車」あるいは「うめ星電車」で伊太祈曽駅へ移動し、そこから神社まで徒歩で向かう行程を組みました。
 ところが当日は朝から雨、警報が出ている中での出発でした。運転手さんと参加者21名、合計22名を乗せたバスは、阪神高速、阪和道を経て貴志駅へ向かいました。車中では自己紹介、伊太祁曽神社の簡単な説明等、有意義な時間を過ごしました。高速道路をおりた頃から道路に水が溢れ、「この雨はちょっと普通じゃない・・・」と感じるようになりました。それでも予定通りに貴志駅でおろしていただきました。丁度、台湾からの観光客を一杯乗せたたま電車が到着しましたので、それに乗る予定にしました。

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 程なく、吉礼(きれ)駅付近で線路冠水のため電車は動きませんとのアナウンスがあり、やむなく観光バスに引き返すことにしました。その間、参加者はたま電車に乗り込みました。著名な三戸岡鋭治氏のデザインによる細部まで行き届いた夢溢れる設えは、いつまでも留まっていたい気持ちにさせる体裁で存分に楽しみました。

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 伊太祁曽神社では、禰宜の奥氏始め関係者の皆様にお出迎えいただきました。その頃には雨も小やみになり、五十猛命(いたけるのみこと)、大屋都姫(おおやつひめ)、都麻都姫(つまつひめ)を祀ってある本殿で奥氏に祝詞をあげていただき、智の木協会の代表が玉串を奉納しました。
 貴志駅前の自然食品の店「しおん」で準備していただいたお弁当を楽しみながら、奥氏と歓談し、由緒ある神社の雰囲気に浸りました。

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 昼食後は「木の俣くぐり」やチェンソーカービングについて説明していただきました。「木の俣くぐり」では実際にくぐってみて「お腹が出ていて苦しい!」だの、「あら、十分にゆとりがあるわ」などなど会話が弾みました。この木は、御神木の杉の木で、昭和37年に落雷によって燃えて枯れ、中が空洞になって人がくぐれるようになったため、神話にちなんで厄難除け木の俣くぐりとして神社に据えられ、参拝者に親しまれています。

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 チェンソーカービングは、4月に行われる「木祭り」の際に、チェーンソーアート国際大会優勝者の城所啓司氏が干支の動物を削る実演後に奉納されます。今年の木祭りでは、一巡したためリメイクが行われました。

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 伊太祁曽神社を後にして、次の見学地の中野酒造へ向かいました。神社では小ぶりになっていた雨も、また大降りになっていました。約3千坪の日本庭園を所有しておられる中野酒造さん、まず日本庭園から見学させていただくのですが、生憎の雨、いきなり梅酒つくりの工程見学からスタートしました。実際に見学できない箇所については、ビデオ見学となりました。そこでもハプニングが!停電となりました。それでも復旧後は試飲とお買い物に余念のない参加者たち、急がないと後から台湾観光客が押し寄せてきます。

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 雨の中帰路へ。だんだんと晴れてきました。車中では、アマゾンカムカム(株)社長様のご厚意により、会社の製品2種(カムカムキャンデー&カムカムグミ)のうち、じゃんけんで勝った人はグミを、負けた人はキャンディーをいただきました。お土産付で、大雨で濡れたことなどすっかり忘れて、楽しいバスの旅でした。
 伊太祁曽神社禰宜奥様、神社の皆様、中野酒造観光課主任の田中様、お世話になりましてありがとうございました。観光バス運転手の原様、大雨の中安全運転に心がけていただき、感謝いたします。