智の木協会活動報告

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第4回 智の木協会ワークショップレポート

第4回 智の木協会ワークショップレポート 
平成23年6月10日(金) 17:30〜20:00
 於:梅田富国生命ビル 4階 テラプロジェクト Aゾーン

                 司会:智の木協会 事務主幹 川上 茂樹氏


開会のご挨拶:智の木協会顧問 山本 幹男氏 
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 第4回ワークショップへの参加のお礼と共に、東日本大震災被災者の方々へのお見舞いを申し上げられました。そして、保険会社としての優先順位を認識して保険金の支払いを迅速に行いたいと述べられました。「この大震災で人々が、人と人との絆や優しさに目を向け始めてきた、キーワードは“共にある”ということだろうと。“自然と共にある”“人と共にある”あるいは“社会と共にある”、こういったことは日本が元々培ってきたことだと思いますが、現在は希薄化してきており、この天災でまた目を向けられているのでは」と分析されました。「植物に触れることにより豊かな人間性を育むことが重要である」と謳っている智の木協会の趣旨を説明され、今後は智の木協会の意義・期待も高まってくることが予想されると話されました。2008年5月に発足して以来、会員も増え、成長を遂げていることへのご理解・ご協力へのお礼を述べられ、「活動をより磐石なものにして皆様のお役に立ち、地域社会に貢献できるような展開をしていきますので、ご支援をよろしくお願いします」と結ばれました。


事務局報告:智の木協会事務局長 小菅 喜昭氏 

 富国生命ビル4階のラウンジについて、「会員の方々の会議室として、交流の場としてご利用いただきたい」と説明されました。
 6月20日、21日に計画している一泊バス旅行(エコツーリズム)について、実施する旨、説明がありました。今後もツアーを考えていること、また、次回のワークショップは“花の香り”の専門家に講演をお願いする予定であることを述べられました。


講演1:大阪大学環境イノベーションデザインセンター 特任教授
    栗本 修滋氏 「40年間森を調査した感想」

座長:智の木協会理事 赤松 史光氏 

 栗本氏の経歴をご紹介いただきました。「栗本氏は大学林学科で学び、卒業後も山に関する仕事をしてこられました。本日は、森林部門の技術士として40年間森に関わり、研究と調査をしてこられた感想をお話いただきます。」


栗本 修滋氏

 栗本氏は40年間「森林と人間の関係はどうなのだろうか」と考えながら山に入ってこられたそうで、その結果、「新しい何かとか、そういったものはなかなか目につかず、何も無かったという思いです」と話を始められました。
 しかし、プロの意識はしっかり身に付き「お金をいただいて仕事として山に入って来ました」と述べられました。仕事として山に入らなければ「花が咲いている、鳥が啼いているなど、他のことに目を向けてしまって、本来の目的を忘れてしまいます」とアマチュアとプロの違い、そしてプロとして山に入るための姿勢を話されました。例えば、太陽の光を入れるために丹精込めて林業者が育てた木を選抜し切り倒す指導をする時などは、「山を守るために必要なこと」と割り切って仕事を進めるよう心掛けてこられたそうです。
 「40年山に入って感じるのは、山にはそれぞれ歴史があるということです」と栗本氏。2007年世界遺産に登録された石見銀山の近くに国有林があり、そこの調査をされたそうです。国有林とそうでない山を調査すると、国有林ではそこが里山にも関わらず、コナラやクヌギが生えていない、本来里山に生えているはずの物が無いところがあるそうです。
 その原因を考えた時、「植物や生態学などの力だけでは解明できない、文献の力を借りなければ回答が出ないことがあります」と述べられ、その原因は「幕府直轄で炭を作らせていたことに起因している」と説明されました。山の形態に歴史が影響している事実を初めて知りました。「請負人は一山いくらで買うので、根こそぎ切り倒してしまった。」その結果、百年経ってもコナラの木が非常に少ないのだそうです。一般人は、次の木が育つように親木を残して伐採し、ドングリなどを通して昔からの木々が世代を継いで残されているそうです。

 修学院離宮では、栗本氏は宮内庁から山の風景をどうにかしてほしいと依頼されたそうです。修学院離宮は1600年、1700年位から山と田んぼのある風景は変わっていないと言われていますが、風景を守るために宮内庁は周辺の土地を買い、村の人たちがその土地の形状を変えないという条件付で借り受けて農業を続けているそうです。
 古文書によると、その山には昔、松が生えていたとされているとか。現状は広葉樹が目立っている・・・。後水尾上皇が「ため池や棚田、里山がある土地の方がよい」と今の場所に決めたそうで、「現代人が素晴らしいと思う風景は、当時からやはり素晴らしい風景であるし、魅力があったんだなということが分かります」と栗本氏。
 しかし、現在、「庭園からよく見える木はモミの木で、昔のような風情のある木が見えなくなっていました。木を切って植え替えれば問題は解決しますが、木を切ってはいけない」という制約があり、困惑されたそうです。「林学の仕事とは木を植えることと木を切ること。いつ、どのように木を切り、どのように植えていくかだけです」と栗本氏。「木を切ってはいけないと言われるとやることがありません。」このお話に参加者は、「解決方法は?」と次の言葉を待ちました。山を歩いて調査した結果、本来山に生えているはずがない木が見つかったとか。昔の人が植えたであろう気になる木(イロハモミジなど)を選択してその木々が「庭園から見えるようにしたい」と担当者を説得し「モミの木など一部を切って目線を変える」方法をとられたそうです。
 山桜の時期、遠くから見ても山桜がたくさんある山だなとか、紅葉の季節にはイロハモミジがたくさんあるなと感じることが多いですが、実際に山歩きしてみると、それらの木は一割程度しかない場合が多いのだそうです。「これは気になるものは目に付き、印象付けられるからです」と説明され、参加者は大いに納得しました。
 雲仙普賢岳噴火1年後くらいに現場に行き、そこにどのような木を植えたらよいのか調査された経験、兵庫県佐用町の山崩れの現場で、実際に家が潰されたところの裏山の調査に行かれた経験から、大切なことを教えていただきました。
 「山に木を植えたら水を貯める」というのは真実ではないこと。森林も呼吸しているので、森林が大きくなればなる程蒸散作用が大きくなり、水をたくさん使い、水を貯めておくことができないこと。水の少ないところではため池を作って周りの木を切れと言われている事実。私たちは未だ経験したことがないくらい大きな木が周りにある中で暮らしていること。広葉樹林は安全そうに見えるが、それは遠くから見ると倒木していても目立たないからで、スギ、ヒノキだから危ないというようなことはないこと。木が大きくなれば山の斜面との関係で倒れやすくもなること、やはり木があれば災害も大きくなること、等々。
 倒木更新と言われているくらい、木は倒れて更新するものなので、木が大きいから森は安全といったことは決してないそうです。毎年、梅雨期、台風の時、土砂崩れなどの災害が起きていますが、「木の、森の神話に騙されてはいけない」と教わりました。
 「手入れをやめてしまっている林でも大きな木の下で小さい木が育っている所もありますが、そのような林は限られていて、元々適していない所に木をたくさん植えているのが現状です」と植林の問題点を指摘され、山と人の暮らしとの関係、里山の管理の大切さを学びました。「森林においては、なかなか結論の出る話ではありません」と40年間森林と付き合ってこられた感想を述べられました。

質疑応答
Q.森林を手入れしないから花粉症が増えていると言われていますが、本当ですか?
A.たぶん本当だと思います。理由は、植物は痛めつけたら花が咲くと言われているからです。間伐をしてすくすくのびのびと育ったスギ、ヒノキは30〜40年で花が咲き実をつけると言われています。過酷の条件下で育てられると、早く実をつけなくてはならなくなるということがあるだろうと思います。
Q.最近、ナラ枯れが起きてその後にシイの木が生え、景観が変わっていることを問題視し、これを防除する動きがあるが、先生から見てこのナラ枯れはそのままにした方がよいのか、防除するために古木を切り倒す方がよいのか生態学的にどちらだと思いますか?
A.昨年災害の調査をした際に、ナラ枯れが災害を大きくしているというところがありました。我々は今まで経験したことがないほど大きなナラの木やクヌギの木のそばで生活しています。本来は15年ほどで更新されるべきところなのに更新されておらず、ナラ枯れが起きて問題になっています。木を切って更新してやればよいが、木を切ってもそれを山から下ろす方法が今のところありませんので、山の中で燻煙し虫を外に出さない方法で丁寧に処理していくしかないと考えます。ナラ枯れはピークがあり、それを過ぎると徐々に落ち着いてくるそうです。
Q.今、人工林では間伐されなかったり、間伐されても放置されたままになっているところがあり、10年後くらいには山の吸水量が低下し土石流などで放置された木々が流され、大災害が起こると言われています。そのためこれらの間伐材バイオマス化して有効利用をしようという動きがありますが、どのようにお考えですか?
A.本当のことで、神戸ではコンペを行い検討されているところです。採算だけを考えると合いません。



講演2:ランドスケープアーキテクト
    (株)辻本智子環境デザイン研究所 代表取締役所長
    辻本 智子氏
   新しい植物館像「ガーデンルネサンスin奇跡の星の植物館」

座長:智の木協会副理事長 小林 昭雄氏 

 高い目標に向かって植物について深い知識を求め、それを実践されているエネルギッシュな辻本氏、1995年からは“淡路島の奇跡の星の植物館”をプロデユ―スしておられます。「植物館ではいつもみやましく、山々のように神々しく走り回っておられるそうで、女性の鏡と言っても過言ではないと思います。本日はその思いを我々に伝えていただけるのではと楽しみにしています」と信州伊那弁を交えてご紹介いただきました。


辻本 智子氏
 
 辻本智子氏は「日本の植物園を変えたい!花と緑の日本に変えたい!」この大きな夢を抱いて30年以上も前にカナダに留学し、その固い意思と情熱をもって「植物園にも、植物にも大きなビジネスがあることを訴える、そのことが私のライフワーク」と熱く語り始められました。現在、淡路島の“奇跡の星の植物館”のプロデユーサーとしてご活躍ですが、基礎に都市計画の知識をお持ちです。
 大阪での花博開催をきっかけに帰国された辻本氏の仕事は、「花博が社会経済文化にどのように効果があるかを考える、間接的経済効果を予測すること」だったそうです。「その時に予測したものは大体できたけれども(ジーンバンクはできなかった)、まだ日本の中で植物の大切さや植物が生み出すものが認識されていないように思います」と問題提起されました。経済が低迷してくると、一番最初にカットされるのは植物園で、「日本人は緑豊かな土地に育ったためにその大切さが分からなくなっています」と辻本氏。確かに、日本は緑豊かだと思いますが、草や木は毎年ボーボーに生い茂り、除草や剪定が必要で、中には手入れが大変だから緑は要らないという人もいます。豊かすぎて、いつでも手に入れられる物なので感覚が麻痺しているのかも知れません。
 しかし、浮世絵に描かれている先人たちの生活を説明していただきますと、日本人は昔から生活の中に花を取り入れて、その季節々々に応じて花やみどりを通して楽しく遊びながら文化を育んできた様子がよく理解できました。その文化は外国の人たちが“真似したい!”と憧れをもって日本に来てくれるような、経済効果を呼び寄せるような質の高い文化であり、私たち日本人も「文化をお金にすることは汚い」などと思わずに、胸を張って自分たちの文化を料理して売るべきです、と力説されました。

 欧米の植物園と日本のそれとが大きく異なる点は、「それぞれが大学研究機関的なものと園芸学校的なものを持ち、市民に教育も行い、子どもに対する教育機関があるところ」と辻本氏。企業とコラボレーションして特定の植物の研究もやる植物園、市民から資金を集めてボランティアに管理してもらっている市民主体の植物園など、行政が破綻しても企業や市民が守っていく、資金を集めて運営していくすべを知っている例を挙げて、植物園の位置づけやとらえ方の違いを説明されました。スライドで植物園の歴史の紹介があり、「花と緑の七恵」として次の7項目を挙げられました。「植物は人々に感動を与え、それを分かち合うために交流が生まれ、健康に関係し、環境に関与し、育てることで情操教育にもなり、植物の研究をすることで研究開発につながり、経済効果を生み出すのです。」植物は表面の華やかさだけでなく、潜在的価値・能力も持っているのです。
 淡路夢舞台は大阪ベイエリアの埋め立て用土取り跡地で、人間が壊した自然を人間の力で再生創造することが目的で、自然と人間の共生を求めて花と緑の公園島・淡路の情報発信拠点でもあるそうです。
 植物園は、薬用植物園、ハーブ園、大学の薬草園、園芸療法的な植物園、ジーンバンク、鑑賞型ミュージアム、住民参加型植物園、ライフスタイル提案型植物園、緑化植物園などに分類されているそうですが、辻本氏は「奇跡の星の植物館」を作るに当たり、複合的な要素を持った植物園にとお考えになりました。つまり「人間が自然から離れたり、日本人が先人のライフスタイルを忘れてしまっているところを再生し、21世紀の花と緑のあるライフスタイルの提案をしていきたい」と考えられたそうです。
 辻本氏は、奇跡の星の植物館より以前に「花の植物館」(ユニトピアささやま)作りを依頼されており、そこでライフスタイル提案型植物園を作られました。奇跡の星の植物館でも、淡路の人形浄瑠璃を上演したり、植物に合わせてバリのダンスをしたり、その時々のテーマに沿った催しを行い、それに関連した「食」をレストランで提供するなど、植物と生活の一体感が味わえるような運営を心掛けておられます。暮らしの中に親しく取り入れていくことにより、植物が大切であることや必要であることが認識されると説明されました。
 軌跡の星の植物館の二つの“軸”、五感軸と花と緑の暮らし軸について説明していただきました。五感軸は、プランツギャラリー(植物の形を見つめる)、トロピカルガーデン(植物の色、自然が作り出す色を体感する)、癒しの庭(展示やアート)、フラワーショースペース(世界の花文化を伝える)より構成されており、花と緑の暮らし軸は、展示室(地域性、伝統文化、産業をガーデニングで継承する)、日本の伝統園、ミニチュアガーデン、壁面緑化、カフェ(植と食は切り離せないと考えるため)、屋外ガーデン(ローズガーデン)より構成されているそうです。
 ガーデンルネサンスの展開として「五感を磨く花緑空間作り、地域性、伝統性を継承する空間作り、住民参加の共生まちづくりシステムの構築、多分野参加型循環型社会構築のためのシステム作りと交流拠点作り」をあげられました。
 奇跡の星の植物館では、多くの種類の植物を使用しながらも色彩が素晴らしく、しかも隅々まで丁寧に植栽されています。それぞれのテーマに沿って地域伝統工芸が盛り込まれた庭作り、使用されている資材のアイディア、子どもたち参加の花壇、多岐に亘る活動が日常的になされていることを知りました。辻本氏ご自身で手掛けられる、細部まで行き届いた庭作り、花壇作りに感動しました。奇跡の星の植物館から発信される新しい植物文化に大いに期待し、応援していきたいと思います。

質疑応答 
Q.萬葉集に載っている植物を集めて、是非植物園を作っていただきたいと思います。
A.萬葉植物園の中には、そういったものを集めているところがたくさんあります。


閉会のご挨拶:智の木協会専門委員 豊田 桃介氏 

 講師のお二人に「親しみやすい内容、関西弁でお集まりの方々は非常に楽しい時間を過ごされたことと思います」とお礼の言葉を述べられました。
 大阪富国生命ビルについて「外観のデザインを国際コンペを開き、フランス人建築家のドミニク・ペロー氏にお願いしました。富国生命のリクエストは、命からイメージし、人間、成長、みどりを感じさせる西のランドマークを作るということでした。それに対し、ドミニク・ペロー氏は、このビル全体を大樹に見立てデザインをしてくれました」と説明してくださいました。ビルのソフトについては「小林先生と出会い、富国生命ビル4階に植と食の産学連携フロアーが誕生しました。人それぞれ、いろいろなみどりの使い方があると思います。それをこの智の木協会を通じて学んでいけたらなと思います」と結ばれました。