智の木協会活動報告

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智の木協会第8回ワークショップ レポート

智の木協会第8回ワークショップのご報告
・日時:平成26年11月7日(金)午後5時〜7時
・会場:富国生命ビル4階 〔社団〕テラプロジェクト
・司会:智の木協会 理事 大塩裕陸氏



開会のご挨拶:智の木協会 特別顧問 平井堅治氏


 参加のお礼を述べられた後、講師 岩本将稔(としかつ)氏に「柿渋は染物、薬など幅広い用途に使われているようで、本日大変楽しみにしています」とお話になりました。
 続いて、智の木協会設立の経緯(2008年5月4日みどりの日に設立)について説明され、組織の活動の精神については「智の木協会は智の木の認定組織ではありますが、多くの知恵を持った企業や個人の方々にお集まりいただき、今日本が直面している地球温暖化あるいは高齢化などの諸問題について、社会に役立つような多様な知恵を皆様から頂戴し、それを様々な形で発信・展開していきたい。また、関西地域のみならず、日本・世界に微力ながらも寄与して参りたい」と語られました。
 このような趣旨のもとに開催されているワークショップは8回目を迎え、シンポジウムは既に7回開催、その他、子ども達の豊かな人格形成を目指す「植育」も行われており、箕面市立彩都の丘学園や茨木市立彩都西中学校での植物科学教室の開催、豊中文化幼稚園でのクリスマスツリー制作支援活動について説明されました。
 植物を育てる喜び、その活用、鑑賞の楽しさを幼少の頃から体験することの重要性を教育面でも呼びかけることで、新たな社会つくりの一助になれば、と「植育」の目指す理念を強調されました。
 会員数の順調な増加(企業会員、アカデミア会員、個人会員)に対するお礼を述べられ、「今後も智の木協会の活動が会員の方々の役に立ち、持続可能な美しい社会環境づくりの実現に向けて、精進して参りたい。引き続きご支援よろしくお願いいたします」と結ばれました。



講演 岩本将稔(いわもと かつとし)氏 岩本亀太郎商店 開発室室長

 講師、岩本将稔氏は、広島大学大学院工学研究科工業化学を専攻され(修士)、昭和61年、現月桂冠株式会社へ入社されました。その後、平成3年に岩本亀太郎商店に入社、現在開発室室長を務めておられます。
 会社は京都府相楽郡和束町滋賀県との県境に位置し、お茶の生産農家が多い地域で、柿渋は山々に囲まれた自然の中で製造されてきたことをお話になりました。




1.柿と柿渋の起源・歴史(参考文献:文化史・民族史・園芸学)
 ①柿と柿渋の起源
 最も古くは、弥生時代中期、池上、四ツ池遺跡で豆柿のような小さな柿の種が出土していますが、現在私たちが食している柿の祖先は、694年〜藤原京跡から見つかった多数の種と言われているそうです。710年〜平城京奈良時代になりますと、柿が商品として流通し、794年〜平安時代では儀式や祭礼に干し柿、熟し柿、塩漬けの柿が使われていて、この時代には渋柿の渋を抜く加工法が既にあったことが分かります、と岩本氏。「干し柿は当時の人にとって非常に重要な食品であったことが、位の高い人の娘が結婚する際の目録の中に記されていたことからも推察できます」と続けられました。
 甘柿の出現は鎌倉時代〜1214年、現在の神奈川県川崎市王禅寺、品種は“禅寺丸”で、この品種は雄花をたくさんつけることから、授粉樹として柿の栽培農家に現在も使われているそうです。
 岩本氏によりますと、考古学の分野で11世紀半ば、漆器の下地に柿渋が使用されていたことが分かっていること(青森県、八幡崎遺跡から出土)、それ以前にも、933年「上大森町共有文書」に、木地物の下地に柿渋を塗っていたとされる記載があること、897年「日野文書」に渋下地の技法が記載されていることにより、総合的に考えて平安時代には柿渋が存在していたと考えられるそうです。
(「文書」とは、作業日報のようなもので、年代など信用できない部分もあります)。
②柿の品種の数
 明治45年には渋柿681、甘柿406、計1087と多くの品種が農商務省農事試験場柿ノ品種ニ関スル調査報告に記されています。昭和62年には、渋柿273、甘柿192、計465と、カキ品種名鑑に記載されており、これらは広島県秋津町の試験場あるいは京都大学農学部附属農場のいずれかにあるとのことです。平成16年〜18年では、63品種がJA調査資料に載っていますが、この数字は恐らく流通している数であり、実際には流通していない柿の品種が非常に多いのだそうです。
祇園坊、高桐院、長建寺、紅柿、赤柿、妙丹などの名前が挙がっていますが、当時は、丹が柿の色を表す漢字であり、圧倒的に渋柿の方が甘柿よりも品種が多かったようです。
 「慕帰絵伺」巻4(1351年)の中に干し柿が描かれており、干し柿が保存食として重要だったことが伺えるとされます。つまり、甘柿にできないことが渋柿にできるからです。「広益国産考」(1859年)の中には江戸時代の柿渋製造の様子が、絵だけでなく製造方法も文で書かれていることから、当時各地で柿渋を作っていたことが分かっています、と説明してくださいました。
平安時代、渋柿は貴重な生活樹(柿渋を作る、保存食として干し柿を作る)として珍重され、鎌倉時代には柿渋染めの衣服が存在するようになり(「平家物語」“柿の衣”)、戦国時代には柿渋で染めた和紙の衣服が存在したそうです。上杉謙信は“紙衣”“陣羽織”(現存)を鎧の上から着て戦陣の指揮をとったと言われています。
③柿渋の歴史、醸造
 江戸時代になりますと産業が発達し、醸造業界で柿渋が使われた歴史について話していただきました。最初は酒を造る際に袋を染めたのですが、その後、酒の中に直接添加する、つまり染めから食品添加物になったと説明していただきました。醸造業界と柿渋は長く深いつながりがあった、それを証明するものが1687年「童蒙酒造記」(江戸時代の最も優れた酒造技術書)で、“酒釃様之事”(酒の上槽の方法)の項に柿渋で酒袋を染める記載があるそうです。夏に杜氏が「渋染めの案内」を受けるということは、その冬の契約依頼の意味が含まれていたので、酒屋にとって柿渋で酒袋を染めるということには重要な意味があったのです、と岩本氏。

 食品添加物としての柿渋は、「染色から清澄剤へ」と用途の広がりがありました。智の木協会では、第5回シンポジウム(平成25年3月8日開催)で、月桂冠株式会社専務取締役川戸章嗣氏に「伏見の酒造りと歴史」−米・水・酒造り−と題して講演していただきました。その際、参加者から酒造り上での柿渋の役割について質問が出され、このたびの岩本氏のご講演に繋がりました。
 1917年(大正6年)『因島の柿渋製造法(下)』に「腐敗清酒などの中に入れて清澄作用を起こさしめることが往々にある」との記載があり、ここで柿渋を清澄剤として使用した事実が確認されるということでした。ここでいう「腐敗清酒」とは、微生物が酒を腐らせたのではなく、たんぱく質の変性により白濁して腐ったように見えることを指します。当時はそれを「腐敗」と理解したようです。柿渋を使っていることイコール酒を腐らせているということになりますので、酒造技術本では書けず、秘密裏に酒屋へ持って行ったのではないかと岩本氏は分析されます。その後ますます清澄剤としての利用が進みました。
④日本の伝統を支える
 柿渋の利用分野は多岐にわたっています。番傘(今はほとんどない)、うちわ(香川県丸亀市)、伊勢型紙(三重県伊勢市で伝統的に使われている)、金箔打紙(金沢市)、その他、釣り糸、投網、渋流し漁法(川に渋を流すと川魚が浮いてくる、それを獲る)等々。
 柿渋を輸出する祭にはJapanese KAKISHIBU(tannin of persimmon)と記載されるそうで、まさに柿は日本の伝統的な果物です。
また、用途によっては柿渋と呼ばず、柿油(防水効果)あるいは柿漆(漆の効果)、柿にかわ(接着剤として)などの言葉で古い資料に出てくることがあるそうです。

2.柿について
①柿が甘くなる・・・
 柿(西村早生)を輪切りにした図で説明していただきました。柿は種ができるとアセトアルデヒドができてタンニンと結合して黒くなり、甘く感じ「甘柿」と思うのだそうです。アセトアルデヒドと結合したタンニンは水に溶けないので、渋く感じないという理由です。よって、種がたくさんあるほど甘いということになります。このような柿の品種を不完全甘柿に分類するそうです。
②柿の分類

 柿は、園芸などの分野では、完全渋柿(四条、横野、愛宕、天王)、不完全渋柿(平核無、刀根早生)、完全甘柿(御所、富有)、不完全甘柿(禅寺丸、西村早生)の4つに分類されるそうです。柿渋生産者である岩本氏にとっては、完全渋柿が必要です。一般的に「おいしい!」と言って食されている柿は、元来は渋柿の品種も含まれていて、収穫後何らかの操作をして出荷されています。柿品種別栽培面積(昭和22年)のデータによりますと、富有柿27%、平核無18%、刀根早生16%と四分の一以上が富有柿で半分以上が渋柿ということになっています。柿の生産県としては、1位和歌山県(平核無)、2位奈良県(刀根早生)、この2県で全体の30%を超えているとか。以上の3種以外にもいろいろな種類の柿が生産されていますが、「その他」が11%あり、柿渋の原料に使われている重要な2種が「その他11%」の中に含まれているそうです。
3.柿渋について・製造方法や精製法
①柿渋の原料になる柿
 愛宕柿。名前の由来は京都の愛宕神社からと言われており、愛媛県西条市から仕入れておられるそうです。200〜300gくらいの大きな柿にすることが目的で、途中で間引くため、捨てられる運命にある柿を柿渋の原料にしているそうです。
 天王柿(京都府産)。愛宕柿と対照的に非常に小さくゴルフボールより少し大きい程度、9月の、彼岸頃でもまだ青く、この品種の場合、種ができても周りは青いままで黒くならないそうです。
 柿渋を製造する場合にはタンニン含有量が問題になりますが、天王柿の場合、彼岸くらいまで十分タンニンがあるということです。
②柿の生育
 柿は5月頃に花が咲き6月には小さな実がなり、10月には熟成し食用になります。柿渋の原料がある時期は7月から9月までの3ヶ月間になりますので、データを見ながらどの品種の柿をいつ頃搾ればいいかを判断することになるそうです。
③柿の産地別品種と搾汁時期
 岐阜県(8月末)では田村柿、京都府(9月初)では天王柿、愛媛県(7月初)では横野柿、愛宕柿が生産されますので、早い時期に量を確保してフルに使って柿渋を作るそうです。
④柿渋の製造工程

 参加者に柿渋A、柿渋Bのサンプルをまわしていただきました。サンプルAは臭気があり、Bにはありませんでした。柿渋は天然物であるため(原料が異なる、収穫時期が異なる、タンニン含有量が異なる)ばらつきがあり、品質を安定させるのが難しいそうです。
 柿果実(原料)粉砕後圧搾、直径2ミリくらいの穴から柿渋がチョロチョロ出てくる様子、搾汁液の様子(緑色)、色の変化、タンクの様子などをスライドで説明していただきました。搾り立ての柿渋(新渋)はフルーティな良い臭いだそうです。熱で殺菌することによって、柿渋の色が褐色、赤褐色になるそうです。ぜひその過程を自分の目で確認したいものですね。
 タンクで最低1年以上熟成、貯蔵し、3年以上熟成させたものを玉渋というそうです。タンクは発酵・貯蔵・製品タンクの3種に分かれており、製品タンクはステンレス製で品質を一定に保つようにしていますということでしたが、臭気の問題、ロット間で差が生じる問題がありました、と岩本氏。
⑤「臭気」と「ロット間の差」をクリアしたい。「限外濾過膜(UF膜)の原理」
 平核無のカキタンニンの推定構造を示して、その化学構造から、緑茶に含まれているカテキンが縦に繋がって構成された構造になっていることを教えていただきました。そして、分子量も多いことが分かります。
UF膜は半透膜を利用した加圧濾過分離法で、溶液中に溶存している糖、アミノ酸、無機塩、有機酸などの低分子物質は透過しますが、高分子物質は濃縮することができるのだそうです。家庭用浄水器でもこの膜を使っているメーカーがありますし、医療の分野で透析をする際にもこの原理を利用しているとのことです。
この膜を使うことにより、柿渋を上の部分と下の部分に分けて柿タンニンを取り出し、膜に規格があることからその規格をそのまま柿タンニンの規格にすることを検討されたそうです。
⑥柿渋の利用法
 衣食住、日々の生活の中に深く溶け込んで使用されている様子を、具体的に教えていただきました。
・衣: 染め、ファッション性のあるようなストール、ジャケット、カバン、帽子などにも使われている。
・食:お酒の清澄剤として。
・住:天井などに天然の塗料として。

4.最近の話題
 清酒の清澄剤に始まり、化粧品、消臭剤、染料、建築材の塗料、石鹸、ドリンクとして、また、ボディソープ、シャンプーなど、男性の加齢臭(アルデヒド)を柿タンニンで除去すること、お菓子やタブレットになっているものは口臭予防として等、現代社会ならではの利用方法を教えていただきました。
資料として、実際に家庭で試みることができるように、染め「布、糸を柿渋で染める」「柿渋で和紙を彩る」「木材に柿渋を塗る」方法を示していただきました。


都市未利用空間活用で“みどりの風”を感じる大阪つくり シンポジウムのご案内
小林昭雄氏 智の木協会 代表幹事


 (一社)テラプロジェクトが11月19日(水)、標記のタイトルで、大阪府立環境農林水産総合研究所、大阪大学産業科学研究会と共にシンポジウムを開催することになり、智の木協会は大阪ガス阪急電鉄、大阪国際サイエンスクラブなどと肩を並べてそのシンポジウムを後援する旨述べられました。
 このシンポジウムは産学官民で行う初めての試みであり、ヒートアイランド現象により、熱帯よりも暑いと言われている大阪に“みどりの風をつくりましょう”という呼びかけを行うものです、と続けられました。智の木協会は、このビルの4階で活動を見える形でアピールしており、具体例として大阪府立環境農林水産総合研究所(テラプロジェクトと連携協定を締結)より陳列していただいたパイナップルの面倒をお願いしたことを説明されました。
 大学では、大阪大学産業科学研究所が身近な空間に色々な形で植物を導入していく方向を進めていること、「温暖化の中で化石燃料を使うことなく太陽光を最大限に活用していくことがこれからの日本のあり方であり、都市の中の空間、室内空間でもみどり化を進めていくことが可能でありますし、今後ホットな話題になっていきます」と述べられました。
 シンポジウムでは、実際にこれまで「みどり事業」を実践してこられた10企業・団体の代表者に発表していただき、また、女性の方々の力で実際に家の中で、オフィスの中でみどり化を進めていきたいということで、植育・食育についてパネルディスカッションをしていただく計画について説明され、シンポジウムへの参加を所望されました。


都市未利用空間活用で“みどりの風”を感じる大阪つくり シンポジウム
・日時:平成26年11月19日(水)13:30〜
・会場:大阪大学中之島センター 10階 佐治敬三メモリアルホール



閉会のご挨拶 智の木協会 副理事長 黒田錦吾氏

 黒田氏は「智の木協会の活動は年毎に充実してきています。シンポジウムやワークショップ、イーヴニングトークなどを数多く開催し、多才な方々にそれぞれの得意分野で講演していただいていますが、より多くの方々に色々な角度から話をしていただくことにより、ボトムアップを図っていきたいとの意図があります」と話されました。
 地球温暖化が進み、今年は台風が数多く日本列島を襲うというような天候でしたが、このような状況を大きな力で改善するのではなく、それぞれの個人のもつ能力をいかに生かすかということが非常に大切ではないかと思う、と述べられました。今までは大企業が大きな力で一方方向に働きかけをしてきましたが、これからの社会はあらゆる角度からボトムアップで、小さな変化を重ねていくことが大切では、と話されました。大阪では堂島の米相場のように大阪人の発想でできていることがありますが、智の木協会も皆様方の個々の力、会員の皆様の個々の力を結集してより大きな力に発展させ、想いを叶えていきたいと願っていますので、ぜひ、皆様方の力を貸していただきたい、とお願いされました。
 最後に、講演者の岩本氏に御礼を申し上げられました。
















以上