智の木協会活動報告

智の木協会の活動報告ブログです

第7回 智の泉談話会 報告

1 開催日時: 2021年3月27日(土) 14時-16時
2 開催場所: テラプロジェクト Aゾーン
3 参加者:  企業賛助会員:2社
       個人会員:4名
       外部参加:2名
       事務局 :6名        
       計   :12名
4 話題提供者 :一般社団法人地域食プロデュース協会 理事長 新古祐子氏
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5 話 題:「今、地域食ブランドが面白い」

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 私は、地域の食のブランドを10年程手掛けて参りました。頑張っている地元の企業さんの商品が、どうやったらもっと知ってもらえるのか、売れるのか、など相談を受けながら、お手伝いしてきました。もともとが、和歌山県の有田郡湯浅町明治14年に創業し夫が経営する湯浅醤油有限会社で、営業を担当してきまして、最高では一人で1億2000万円の売り上げたこともあります。この営業活動の中で、商品の告知や見せ方、売り方を工夫すれはもっと売れる商品が沢山あることに気づき、2010年にスターフードジャパン(株)を立ち上げました。また、地域食を育てるためには、人材も必要と考えて、私の経験やスキルを受け継いでもらうために、地域食プロデュース協会を発足させて活動しております。
 さて、地域にはたくさんのブランドがあります。自分の地域でブランドとして知られていても、他府県では知られていません、なぜなら、競合として他府県にも同じような商品があり、その地域でブランドとなっているからです。お客様に、自分の商品の使い方、食べ方を知ってもらわないと差別化できず、認知してもらえない。では、どのように差別化するのか。事例をお話します。
 淡路島に、「淡路島3年とらふぐ」と言うブランドがあります。とらふぐは、普通は2年間養殖して出荷しています。2年間が、餌代や養殖期間中のロスと出荷総額を比較して一番利幅が大きいからです。しかし、もう一年長く3年間養殖すると格段に大きくなります。
 そこで、若男水産さんが、3年養殖に挑戦し、地域の漁協が「地域団体商標」として登録しました。地域団体商標は、特許庁が「地域の産品等について、事業者の信用の維持を図り、“地域ブランド”の保護による地域経済の活性化」を目的に2006年から始めた制度で、国に“地域ブランド”として認めてもらえることになります。

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 「淡路島3年とらふぐ」は、漁業者が自分たちだけでブランド化せず、開発した「てっさ」や「てっちり」のセットを商工会に持ち込み、観光協会ともタイアップしてホテルの看板料理としました。告知を若男水産さんだけでなく、商工会、観光協会など地域全体で行いました。この時、「地域団体商標」という国からのお墨付きを貰っていたのは大きな力となりました。

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 観光協会とタイアップし、地域のイベントを通して地域貢献し、地域全体の利益となるような仕組みとしたことが、成功につながりました。
 スターフードジャパン(株)では、行政から依頼される商品開発も手掛けています。以前、近畿経済産業局から地域団体商標商品を広めるための商品開発を依頼されました。その一つとして、「3年とらふぐの煮凝り」の缶詰めを開発しました。私は商品開発する時に、売価を決めて開発します。この、「3年とらふぐの煮凝り」では、ふぐの身を入れると高くなり、600円を超えてしまいます。そこで、「3年とらふぐ」の調理現場に行くと、「ふぐをさばくと身が付いたふぐ皮、身皮が出る。食べられるのにもったいない」という話を聞きました。ふぐの身皮を使い高価なふぐの身を少なくして、コラーゲンたっぷりの煮凝りを開発しました。私の商品開発では、原価を抑えられるので、先ず、現場で捨てている、もったない、再利用できる素材を使えないか考えることが基本です。
 地域食ブランドで、成功しないところは、商品が真の特産品になっていない、自分だけが良いとの独りよがりに陥っている、広く協力しない、社会貢献しない、地域前愛の利益を考えない ことが多い。商品開発が終わると、商工会に持ち込み、告知、販売促進をおんぶにだっこで任せてしまう例が多く見受けられます。商品のストーリーや背景を小学校な大学で紹介する社旗貢献は、認知の裾野をひろげるために重要だと思っています。

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 農産物や水産物には、JAやJFが効率的な輸送のために決めたサイズ規格があり、どうしても規格外品が生じます。10年ほど前に、中部経済産業局から三重県で規格外の小さなサンマが余り、廃棄しているのでなんとか特産品を開発できないかと相談されました。当時は、三重県でもサンマがよく獲れました。しかし、サイズの小さいものは売り物にならず、廃棄していました。現場に行ってみると、倉庫に小さサンマが2-3トンありました。そして、近くに三重県の伝統食であるカツオの生節を製造する設備がありました。そこで、小さなサンマの丸干し(生節?)を造りました。中部経済産業局からは、開発商品で地域にお客さんを呼び寄せたいと意向を聞いていました。しかし、水産物の特産品でお客さんを誘致することはできないので、認知を広げることを主眼としました。大き目の袋に入れて大きく見せ、「神さんま」とネーミングしました。ターゲットを東京出張帰りのサラリーマンとし、新幹線の車内で飲む時の柿の種の代わりになる酒肴となるように価格を300円としました。サンマの原価は無いようなもので、加工を地元の既存設備を行ったので加工費も抑えられ、原価は十数円でした。東京の三重県のアンテナショップやネクスコ東海エリアに置いてもらい、月商240万円の商品となました。

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 「やきかま」という珍味があるのですが、この商品は加工工場が一つで、いろいろな会社が様々な商品名で売っています。商品の中身が一緒なので特徴がありませんでした。また、ターゲットを男性とした酒肴品として売られているので、女性が全く手を伸ばさない商品でした。依頼主は大阪府で、その内容は「やきかま」で女性の食べる商品を開発することでした。開発では、ターゲットを10代から30代の女性とし、バックに入るローカロリーのお菓子となる商品を目指しました。ターゲットから設定した価格は200円以下で、パッケージにはお魚をデザインしました。依頼主からは、大阪の味としてたこ焼き風味などの要望があったのですが、「こてこて」ど定番を外し、スパイシーカレー、紅生姜、チキンコンソメの三つの風味を用意しました。ネーミングは、業界で「やきかま」がプッチンと呼ばれていたので、かわいらしいいのでそのまま「プッチン」としました。

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 「プッチン」には、土産物市場で競合商品がなく、コンセプトは大阪、ターゲットは女性に絞り込んであったので、順調に推移している。販路は、大阪府内の土産物屋などに加えて羽田空港やコンビニ、スーパーの一部でも取り扱いが始まっています。

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 商品がブランドとして独り立ちするための地域づくりには、発掘、磨き上げ、情報発信、販売方法が必要です。商品を磨き上げるには、その商品に熱い情熱を持った人が必要でず。お姉さんでもおじさんでも、情熱をもった人を盛り上げることで、商品に磨きがかかります。磨き上げでは、唯一無二のものを造ります。この時には、方針がぶれないようにプロデューサーが不可欠となります。情報発信では、ユーチューブにアップすればよいではありません。中には、情報発信して終わりという開発がありますが、販売方法までやりきることが重要でです。
 ブランドは、信用と信頼が重要で、お客さんはほとんどのものを既に持っているので、お金を払うだけの価値がないとブランドにはなれません。食べ物の場合は、おいしいこと、人に薦めたくなることです。インスタ映えする食べ物においしいものは少ない、だから、リピートを生みません。食べ物の場合の価値は、おいしいことで必須要件です。この時、沢山の専門家と一緒においしいものを作り上げるのが良いのです。一人で作ると、独りよがりなったり、凝り過ぎなったりします。専門家をまとめるには、プロデューサーが必要となります。

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 一般社団法人地域食プロデュース協会では、地域食を有効に活用し、地域食ブランドを開発できる人材を育成するために、プロデューサー育成講座を開いています。プロデューサーには4級から1級、その上にマスターがあります。上位のカリキュラムでは、食品表示と商品開発とブランド育成を学ぶ。商品開発とブランド育成では、私に経験を中心に実務的な開発方法を習得します。

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 もう一つの事業が、スターフードジャパンです。スターフードジャパンは、商品の事業化見通しの検証から販促の提案までをサポートする「食品マーケティング支援事業」です。関西空港の中に、「Region-Style」と言う店舗を持っていて、委託販売、小ロット販売、イベント開催、アンケート集計を請け負っています。 

6 事務局後書

 報告書で取り上げた商品の他に多くの開発商品が紹介され、大変興味深いお話でした。地域の食材から地域食ブランドを創り上げることの難しさを垣間見ました。話題提供の後、農業の実態と六次産業化、商品規模と採算性等の質疑がありましたが、割愛させていただきました。

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以上

智の木協会「第13回シンポジウム」講演録

〇日 時:令和2年11月20日(金)
     <17:00~18:30>
〇場 所:「まちラボ A ゾーン」
〇参加者:会場参加 20名(事務局含む)
     リモート参加 3名
     計: 23名

 

●開 会:(大河内基夫理事/事務局長) 

●開会挨拶:(富国生命保険相互会社 浅見直幸 専門委員 代理 山岸朋行 氏)

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・平素より会員の皆様には、「智の木協会」の活動に対してご支援を賜り厚く御礼申しあげる。世界中で新型コロナウィルスの感染拡大もあり、落ち着かない日々が続いている。
・「智の木協会」では、年初3月から5月までの事業については、一部中止・延期はあったものの、6月以降はリモートも活用して事業活動を再開した。今後もアナログとデジタルが共存するニューノーマルなスタイルでの事業活動を進めてまいりたい。アフターコロナを見据えると「智の木協会」は、グリーンリカバーの担い手としてその存在価値が益々高まってくるものと期待している。
・本日は、これから大阪市天王寺動物園 牧 慎一郎 様より「動物園改革」をテーマにご講演いただくが、こうした滅多に聞くことができない知識や教養を見聞できるところも「智の木協会」の大きな特徴である。会員の皆様には、引き続き当協会へのご支援、ご協力を切にお願いする。

●「智の木協会」活動報告:(小林昭雄代表幹事 <(一社)テラプロジェクト理事長>)
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*冒頭、「智の木協会」のここ1年の主な活動(第12回シンポジウム、新年講演会、創立記念特別講演会)と大河内事務局長が中心となって進めている「智の泉談話会」活動についての報告があった。
・続いてテラプロジェクトとの連携事業として、昨年10月の「松ノ浜グリーンフェス」(共催:テラプロジェクト、後援:智の木協会)や、11月4日の御堂筋イルミネーション点灯式、長野県と大阪観光局との包括連携協定調印式へみどりのサンタで参加した。その直後の11月6日には、大阪観光局との共催で“Green Hospitality Osaka 国際シンポジウム”を盛大に開催し、「みどりでおもてなしOSAKA」を発信した。
・こうした活動の延長線上で「日本みどりのプロジェクト」という全国組織を本年10月25日に東京で立ち上げた。全国の都道府県の首長が中心となり5つのプロジェクト(①2025大阪・関西万博「日本の自然のショーケース」プロジェクト、②Green Recovery プロジェクト、③Go Greenプロジェクト、④One Green プロジェクト、⑤National Park(ナショナルパーク)プロジェクト)に取り組んでいくことになった。この中で特に、④One Green プロジェクトについては、これまでの智の木協会とテラプロジェクトが実際に取り組んできた事業そのものがプロジェクト化されたと言える。
 当日は、国から小泉環境大臣にも基調講演いただき、今後の本プロジェクトへの期待を述べられた。
・この組織の中で、事務局としてテラプロジェクトがその一翼を担うとともに、協力団体として「智の木協会」も構成メンバーに認めてもらうことができ、本プロジェクト内で“みどり”の牽引役として、今後の「智の木協会」の拡大・発展に大いに寄与するのではないかと期待している。

◎『第13回シンポジウム』:
〇講 師:大阪市天王寺動物園 園長
    <兼>大阪市建設局動物園改革担当部長
    牧 慎一郎 氏
〇題 目:『動物園改革~天王寺動物園を事例に~』

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*冒頭、自己紹介の中で中央官庁時代に取り組まれた幅広い仕事(科学技術庁での原発対応など)や、動物との様々な関り(テレビ出演等)、世界中の動物園の詳細な研究等について、様々な事例や珍しい写真、さらには参加者向けのクイズも織り込んだ楽しいお話があった。

・現在の職務についた経緯としては、動物・動物園好きの上に、“幸運の女神は前髪しかない”という想いで2013年の大阪市公募制度(動物園改革担当部長)に応募し、橋下市長時代の平成26年7月に天王寺動物園園長として採用された。
天王寺動物園は、1915年設立、都会のど真ん中に立地し、あべの・天王寺の賑わいの一角にできた。
 現在は、180種、約1,000点の動物がおり、大きく北園(アフリカ・サバンナゾーン)と南園(アジア・ホッキョクグマゾーン)に分けて管理しており、昔の分類学的な展示から生態的な展示に整理・見直しを進めてきたところである。ちなみに天王寺動物園での人気投票では、ホッキョクグマとトラが人気。
 また、平成以降は、ピーク時には、220万人の動員があったが、私が着任する直前は、年間116万人の来場者まで落ち込み、問題点の洗い出しと改善が喫緊の課題で、その解決のために園長の一般公募が行なわれた。
・今どきの世界の動物園の考え方は、野生動物の保護施設(Conservationセンター)の色合いが強く、野生動物の絶滅に加担するのではなく保全の使命が大きくなっている。また、日本動物園・水族館協会では、動物園や水族館には、①レクリエーション、②教育(環境教育含む)、③種の保存、④調査・研究 の4つの目的があると発信している。特に、種の保存については、国内外の動物園が繁殖の協力をしないと種の保存ができないのが現実で、我々も世界中の動物園と協力体制を敷いて、種の保存や生物の保全にあたっている。現在では、動物福祉というドメイン(精神衛生を考える)が加わっている。
・現在の天王寺動物園の改革については、平成28年に「天王寺動物園101計画」を策定し、各種改善に取り組み入場者も約170万人まで戻ってきた。主な施策としては①ナイトズー導入、②生態展示改善、③売店改革、④動物園の組織改革の4点である。私は、改革にあたり「できない理由を探すのではなく、
どうできるかを考える」「制度上無理なものは仕組みを作る」を信念に取り組んできた。天王寺動物園は、4月から新しい法人に生まれ変わるが、引き続き皆様に愛される動物園を目指して行きたい。

 

●閉会挨拶:(清水建設株式会社 豊田桃介 専門委員)f:id:chinoki1:20210104141835j:plain

・牧園長様、ご講演ありがとうございました。
 私自身も動物園には幼少の頃から色々な想い出もあり、大変興味深く聴かせていただいた。
 特に、動物園を取り巻く課題への改革に手腕を発揮されていることに感服した。
・会員の皆様には、日頃より智の木協会の活動にご理解、ご協力いただきありがとうございます。このコロナ禍の中で、智の木協会もリモートを活用した事業活動を展開するなど厳しい状況が続いているが、今後とも理事や事務局の皆様と知恵を出しあって、事業活動を進めてまいるので、引き続きご支援の程よろしくお願いする。

以 上
(文責:滝本裕次)

第6回 智の泉談話会 報告

1. 開催日時  2020年8月29日 14時-16時
2. 開催場所  テラプロジェクト Aゾーン
3. 参加者   企業賛助会員:1社
       個人会員:4名
       外部参加:16名
       事務局:5名
4. 話題提供者 龍谷大学
       里山学研究センター・フェロー
       田中 滋 氏
5. 談話会
話 題
⾥⼭川と”農”の今昔
 
⾥⼭学への誘い− 」

 環境社会学は私が専門とする研究分野の一つで、龍谷大学の「里山学研究センター」の設立にも関わった。⿓⾕⼤学は1994年に瀬⽥キャンパスの隣接地の⾥⼭(38ha)を購⼊しグラウンド増設しようとしていたが、そこにはオオタカが⽣息していることが分かり、⼤学は開発を断念し、研究・教育の場として活⽤することを決めた。そして、2004年には学内に現在の「⾥⼭学研究センター」の前⾝である「⾥⼭学・地域共⽣学オープン・リサーチ・センター」が設置された。
 里山は、もともとは村の共有林=⼊会(いりあい)林を中⼼とする⼭林で、伝統的な水田耕作に肥料や飼料を供給していた。「近世のかなり集約的な⽔⽥経営では、炊事や暖房のための薪材としては村の⾯積の2〜3倍、刈敷(肥料)としての柴の需要は⽥畑の10〜12倍の雑⽊林が必要であった」(湯本2018)と言われている。人びとは燃料にする薪炭や柴草、食料を補う山菜、キノコ、⽊の実、そして建築⽤材などの原材料などを里山から得ていた。里山は、原生的な自然林ではなく、人の手が入った「二次林」として人びとの生活を支えていたのである。しかし、里山の過剰な利用がおこなわれた結果、江戸時代の里山は赤松の木がわずかに残る禿げ山となっていた。こうした禿げ山は全国で見られた。

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 伝統的な水田耕作では、中⼩河川の水を堰を作って取水し、近隣の集落や村と分け合っていた。村内では、「⽥越し(たごし)灌漑」によって、上流の田から下流の田へ水を回していたが、渇水になると下流の田には水が供給されなかった。田越し灌漑のための⽔利秩序を守るために厳しい規律が生み出され、隣接する村との「⽔争い」(水論)では村の団結が高まった。村の祭りの多くは、村内の秩序の確認と他村との対⽴の昇華という性格をもっていた。
 明治初期に山林の国有と民有との区分(官民有林区分)がなされ、里山が国有化された場合などでは⼊会紛争が頻発した。戦後には、里山が供給していた肥料、燃料、原材料が化学肥料、石油・石炭、合成樹脂などに代替されていった。その結果、不要となった里山にはスギ、ヒノキが植林され、都市周辺部の農村の里山では宅地・都市開発、ゴルフ場造成、⼯業団地造成が行われた。入会地だった里山の分割所有化が進むと、⼊会地管理を介した村の団結が弛緩した。その結果、「⼭論」(⼊会地の境界をめぐる隣村との激しい紛争)は減少したが、集落や村の対抗戦としての意味合いをもち盛況だった学校の運動会も、過疎の問題もあり、勢いを失っていった。また、共同作業のための組織である「結い(ゆい)」の弱体化によって、たとえば多くの人手を必要とする「茅葺き」の作業ができなくなり、伝統的な「茅葺き屋根」の⺠家は各地で減少していった。
 これらの要因が重なり、里山里山でなくなり、里山の人工林化によって、比喩的に言えば、集落周辺に「奥山」が迫って来るということにもなった。

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 戦後、⽇本では復興のための⽊材需要が急増し⽊材が不⾜し、価格も⾼騰した。⽊材需要に応えるため、広葉樹の天然林が伐採され、その跡地にスギ・ヒノキが植えられた。⾥⼭の雑⽊林が伐採され、「奥⼭」の天然林も伐採され、成⻑が⽐較的早く経済的に価値の⾼い針葉樹の⼈⼯林が植林された。この植林政策は「拡大造林」と呼ばれる。
 しかし、山村の主要産業である林業は衰退に向かっていった。⽊材が引き続き不⾜し、1960年代からは安価な外材が輸⼊されるようになり、木材価格は低迷するようになった。若者は成⻑著しい都市へ流出し、林業は人手不足に陥り⾼齢化も進んだ。また、阪神⼤震災以降、⽊造住宅は不⼈気となり⽊材価格の低下(1/10の価格へ)に拍車がかかった。林業は、カネにならない3K仕事となり、後継者不⾜が続いている。
 林業の衰退は、拡大造林で増えたスギ・ヒノキなどの人工林の整備の遅れを招いた。間伐の遅れはモヤシのように痩せたスギやヒノキが密集する貧弱な森を生み出し、⼭崩れや⾵倒⽊の原因となっている。一方、奥⼭の広葉樹林の減少は野⽣動物のエサ不⾜に直結した。農山村の過疎化や猟師の減少は、⼈圧と獣圧の逆転を招き、⾥⼭・農地へ野生動物が出没して獣害がおこり、人びとの農業に取り組む意欲を減退させ、耕作放棄地が全国的に拡大している。
 「拡⼤造林」は、河川にも影響を及ぼしている。整備されていない針葉樹の⼭の保⽔⼒は低く、⽔の安定供給⼒が低下すると同時に、⽔害を引き起こす原因ともなった。土砂の山からの流出は河床の上昇を招き(⼟砂に埋まる川)、⽔害リスクの増⼤が懸念されている。⾃然豊かでのどかな農⼭村が、⼭崩れ・⽔害・獣害に脅える農⼭村へと変貌した。
 里山は「田越し灌漑」による水田耕作に肥料や飼料を供給していた。現在の圃場整備された近代的な水田では、用水の供給は暗渠とバルブによってなされ、冬期に畑として耕作する際の水はけのために水田の下に暗渠排水装置が設置されるという形で管理されている。このような水田の管理システムでは冬場に⽔の無い排⽔路が生まれ、ドジョウ、フナ、モロコなどの魚類はその棲み家を失った。現在の水田はいわば工場化し、里山や里川とは無縁となった。
 日本の自然保護は、山、海と続き、やや遅れて川を対象としてきた。山と海は川で繋がっている。山の栄養分が川によって海に運ばれ、海の生物を豊かにしている。今後は、里山、農地へと自然保護の対象が移り変わっていくと思われる。里山も里川も、人間の関与(農業)によって恒常性を保ってきた「二次的自然」である。政府も、里地里山保全を目指して施策を打ち出している。また、環境省と国連⼤学サステイナビリティ⾼等研究所は、共同で「⽣物多様性と⼈間の福利のための⼆次的⾃然保全の推進」をコンセプトとするSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップを推進している。
 ⾥⼭・⾥川や農地の環境保全は始まったばかりで、その道程は遠い。しかし、いつかはその保全がなされる。⼭岳や河川の保全が徐々になされていったように。

参考文献・資料
安曇野市里山再生計画(本編分割)なぜ里山の再生が必要なのか?(1)(2)」  
 https://www.city.azumino.nagano.jp/uploaded/attachment/2653.pdf
湯本貴和2019年「⾥⼭の⽣態系サービス─その歴史的変遷と将来─」
 ⿓⾕⼤学⾥⼭学研究センター年次報告書(2018年度)』21−31⾴。


6. 事務局後書
 今回は、田中教授のご友人お二人が関東からWEB参加されました。コロナの感染防止のために、止む無くロの字型式ではなくスクール型式で談話会を開催しています。反面、テラプロジェクトのご支援でWEBでのリモート参加も可能となり、思いがけない遠方からの参加がありました。

第5回 智の泉談話会 報告

1. 開催日時        2020年8月29日 14時-16時
2.  開催場所        テラプロジェクト Aゾーン
3.  参加者         個人会員:8名(内リモート参加3名)
           外部参加:5名
        事務局 :5名
4. 話題提供者       前大阪府
        環境農林水産総合研究所
        理事長   内山哲也氏
5. 談話会
 話 題
「 チョコレートの歴史 プラス
 -チョコレートの歴史/三大発明とベルギー- 」

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 チョコレートは、カカオの実から造られる。カカオは、アオギリテオブロマ属の常緑樹で、中央アメリカから南アメリカの熱帯地域が原産地と考えられている。テオブロマギリシャ語で、「神の食べ物」を意味する。原産地に近い、メキシコ南部には紀元前2000年から遺跡にカカオの痕跡がある。カカオはペースト状に磨り潰され、薄められ液体で飲まれた。カカオは強壮のために飲まれ、カカオを飲めるのは上流社会の人々であった。ココア豆100粒は、奴隷一人と同じ価値があった。
 1521年にアステカ王国がスペインのコルテスに征服されると、カカオがスペインを経由して、フランス、イタリアに伝わり、ヨーロッパに広まった。ヨーロッパでは、希釈されたカカオペーストが撹拌機で泡立てられ、砂糖、牛乳、バニラ、シナモンが加えられた。ヨーロッパでも、チョコレートは王侯貴族、上流社会の贅沢で優雅な飲み物であった。

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 カカオは、人類が液体で食べ始めて3500年後に中南米からヨーロッパに伝わった。その後、350年間ヨーロッパでもカカオは、チョコレートとして飲まれ続けた。固形のチョコレートが生まれたのは173年前であり、その歴史は浅い。
 現在の固形のチョコレートが生まれるためには、➀ココアからの油脂の除去法、➁固形チョコレート、③ミルクの付加法、④コンチェの発明が必要であった。

 1828年に、オランダのVan Houtenがカカオペーストからココアバターを搾りだす圧搾機を開発した。この圧搾機は、カカオペーストのココアバター分を55%から23%に下げることができた。ココアバター分が減ったカカオペーストはココアパウダーと呼ばれ、粉末に加工しやすくなった。 油分が少なくなりココアが飲みやすくなった。
 1847年に、イギリス人Josef Fryが固形チョコレートを発明した。飲むチョコレートはココアパウダーと砂糖をお湯に溶かしていた。ジョセフ・フライはお湯の代わりに、ココアマス(カカオペースト)と砂糖にココアバターを加えた。すると、冷やすと室温では固体になり、口の中では体温で溶けるという固形のチョコレートができた。フライが発明した固形チョコレートは、ダークチョコレートでミルク分が入っていなかった。
 ダークチョコレートにはココアバターが多く含まれているので、水分の多いミルクを加えることが出来なかった。1875年、スイス人のDaniel Peterは、近所のネスレが開発した粉ミルクを加えるこで、ミルクチョコレートを生み出した。
 同じスイスで、1879年にRodolph Lindtがチョコレートを滑らかにするコンチング(精錬)法を開発し、その機械であるコンチェを発明した。

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 スイスで固形チョコレートが完成した頃、日本は明治の初めであった。1873(明治6)には、岩倉具視使節団がフランスのチョコレート工場を視察した。1877(明治10)には東京で米 津凮月堂が 日本最初のチョコレートを製造し、1909(明治42)には      森永製菓が板チョコレートの製造を開始した。その後、1918(大正7)に明治製菓が、1923(大正12)に神戸の  マカロフ・ゴンチャロフが 、1931(昭和6)にモロゾフ (神戸)がチョコレートを製造販売した。
 カカオは、緯度が20度以下の熱帯で栽培されている。世界の生産量は約400万トンで、西アフリカと中南米が産地である。栽培地が似ているコーヒー豆の生産量は、980万トンである。カカオ豆の主な生産国は、コートジボワール(195万トン)、ガーナ(80)、インドネシア(32)、エクアドル(22)などである。日本の輸入量は、4万トンである。日本は、ガーナからの輸入が多い。品質が良いのは、ベネズエラ産のカカオである。

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 カカオの花は、枝ではなく木の幹に直接咲く。このため、ラグビーボールのようなカカオの実も、幹になる。実は、厚さ1センチ以上の堅い殻で覆われいて、その中にパルプと呼ばれる甘く白い果肉に包まれて30~40粒のココア豆が入っている。カカオには、クリオロ種、フォラステロ種、トリニタリオ種の三種類がある。クリオロ種の豆は白く、最も品質が良いとされている。産地では、収穫後に殻を割りパルプと一緒にココア豆を取り出して、発酵させる。発酵では、アルコール発酵や乳酸発酵、酢酸発酵が起こる。発酵後に天日干しで水分数%まで乾燥してから、輸出される。
 チョコレートの生産では、先ず輸入したココア豆を選別(クリーナー)して異物を取り除く。続いて、焙炒(ロースター)、風選(ウイノワー)、配合(ブレンダー)、磨砕(グラインダー)、混合(ミキサー)、微粒化(レファイナー)、精錬(コンチェ)、調温(テンパリングマシン)する。この後、型に入れてチョコレートとなる。

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 ココア豆は、中南米で数千年に亘って滋養強壮を目的として摂取されていた。チョコレートにも、ポリフェノールがもつ健康効果である動脈硬化防止、がん予防に加えて、ストレスに打ち勝つ、アレルギーへの効果、ピロリ菌の殺菌効果が認められている。一方で、砂糖(約50%)やココアバターに由来する脂肪を多く含むので、太る、虫歯になるなどのデメリットも指摘されている。

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  日本のチョコレート消費量量は2㎏/人・年である。一方、ヨーロッパで消費量は、ドイツでは11㎏、スイスでも10㎏、ベルギー6㎏であり、日本よりも多い。都道府県別の国内生産量は、大阪府が第2位の埼玉県の2倍近くで、ダントツの1位である。これは、府下で不二製油とグリコの工場が稼働しているからである。

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 ベルギーは、人口1千万人の小国で国民一人当りのGDPは日本と同額である。民族的は、ゲルマン系とラテン系が融合していて、大柄の人も小柄な人もいる。歴史的に周囲の大国(英独仏)から何かと抑圧されてきたので、人には親切である。交通の要衝に位置するので、英語に加えてドイツ語、フランス語を話せるマルチリンガルが多い。料理は旨いが、天候が悪い。チョコレートは安く、日本では一粒700円もするアントワープショコラティエ"デルレイ"のチョコレートが70円で売っていることもある。

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質問

Q:ホワイトチョコレートはどのようにして作るのですか?
A:ココアマスを使わずにココアバターだけで作ると、白いチョコレートができます。

Q:ココア豆の発酵では、清酒の蔵付酵母のように、酵母株が決まっているのですか?
A:いいえ、産地の雰囲気やココア豆に付着していた酵母や乳酸菌で発酵しています。

Q:ココア豆の価格が高騰する恐れはありませんか?
A:ココア豆は、1,000-3,000円/トンで取引されています。しかし、今後中国での消費が高まれば、価格が高騰する恐れは十分あります。

6.  事務局後書

 コロナ感染防止対策で、受付で検温しました。座席の配置も、コの字型式ではなくスクール型式で行いました。そのためか、話題提供途中での質問が少なかったのですが、質問時間には多数の質問がありました。参加者の自己紹介の時間を取りたかったのですが、司会者の不手際で叶いませんでした。お詫びいたします。
 次回は、10月31日(土)です。話題提供者は、龍谷大学名誉教授の田中滋さんで、話題は「里山・里川と”農”の今昔─里山学への誘い」です。

智の木協会「創立記念特別講演会」開催内容(ご報告)

〇日 時:2020年7月31日(金)<講演会:14:00~18:00、交流会:18:00~19:15>
〇場 所:富国生命ビル4Fテラプロジェクト「まちラボ」Aルーム
〇参加者:25名(会場参加:16名、リモート参加:7名、事務局:2名)

 

(司会進行:大河内基夫 事務局長)
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・当日は、冒頭 智の木協会大河内基夫事務局長から開会宣言ならびに全体のスケジュールについて紹介があった後、大河内事務局長の司会で「創立記念特別講演会」が開始された。

 

1. 開会挨拶

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富国生命保険相互会社 大阪北支社 市場開発推進部長 小山晃司 様
 (智の木協会専門委員 同社 執行役員不動産部長 浅見直幸様 代理)

・日頃から会員の皆様にはお世話になっております。本日は、弊社執行役員で智の木協会専門委員を仰せつかっている浅見の代理で挨拶させていただきます。
・「智の木協会」の12周年おめでとうございます。「智の木協会」は、これまで会員のご協力を得て地道な活動を長きに亘り続けてこられました。本来であれば、この創立特別講演会は、例年2008年5月4日の創立記念日前後に開催される予定でしたが、コロナウィルス感染症の影響で今日まで延期となりましたことをお詫び申し上げます。
・今日は、新たに理事長として寺谷誠一郎様をお迎えし、この後寺谷理事長様からご就任のご挨拶、小林代表幹事様から「智の木協会」の活動報告、(一社)大阪梅田エリアマネジメント代表幹事植松宏之様からのご講演という構成で開催させていただきます。また、講演会後には、会員相互の交流会も予定されているので懇親も深めていただきたいと思います。
・最後に、今後もSDGs、アフターコロナの新しい時代に向けて「智の木協会」のご発展ならびに会員各位の更なるご健勝を祈念しております。

 

2. ご挨拶

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〇「智の木協会」寺谷誠一郎 理事長からのご挨拶
(智頭町役場からのリモート参加)
・只今、司会からご紹介がございました。寺谷でございます。私は、この6月まで智頭町長を5期務めてまいりました。智頭町は、人口7,000人弱の小さな町で岡山県との県境に位置し、町の総面積の9割以上が山林で、1年を通して街を彩る植物や美しい自然に溢れています。
・智頭町と「智の木協会」とのご縁は2013年の智の木協会入会がきっかけであります。また、森林セラピー等の連携イベントも大阪でご一緒にやらせていただくなどお世話になってまいりました。
・今回の理事長就任のきっかけは、昨年5月頃だったか小林代表幹事ご夫妻、大河内氏からの強い要請を受けて、理事長になることになりました。私には荷が重いとは思いますが、皆さまのお力添えをいただいて、皆様と足並みを揃えて「智の木協会」の活動に貢献してまいりたいと思っております。

 

3. 活動報告

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〇「智の木協会」小林昭雄 代表幹事からの活動報告
・「智の木協会」としてここに今年度のメイン事業である「創立記念特別講演会」を開催することができたことに  感謝いたします。
・7月1日付で、寺谷新理事長にご就任いただき、お手元  の資料にございます2020年度の新役員体制のもと「智の木協会」の活動をスタートしてまいります。
・ここ1年間の活動の振り返りとしては、大阪観光局との「みどりのイノベーション推進会議」の設置と長野県を中心にこれから活動がスタートする「みどりのプラットフォーム」への事務局としての参画という大きな成果がありました。これらの活動も「智の木協会」の重要な活動として対外的にも発信してまいります。その際、このコロナ禍をチャンスに捉え、リモートも活用して日本全国に会員を拡大できるように頑張ってまいりますので、引き続きご理解、ご支援の程よろしくお願いいたします。

 

4. 創立記念特別講演会

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〇講演テーマ:「令和時代に求められるエリアマネジメントの役割」
〇講師:植松宏之氏(大阪大学コミュニケーションデザインセンター招聘教授/一般社団法人大阪梅田エリアマネジメント代表理事

 <講演要旨>
(1)エリアマネジメントとは
横浜国立大学名誉教授小林先生が定義された、「地域における良好な環境や地域の価値を維持・向上させるため、住民・事業主・地権者等による主体的な取り組み」である。住宅地では「自治会」、商店街では「商店街組合」。都心では「まちづくり協議会」が地域の課題解決を行う役割を担っているはずだが日本ではなかなかできていないのが現状である。
・海外では、BID(Business Improvement District)という自治組織が州法で認められ、公共空間における付加的な清掃、警備、イベント開催、情報発信など街の維持・管理を行っている。但し、現在はコロナの影響でその活動は止まっている。(ニューヨークでのこれまでの取り組みを写真で紹介)
・日本では、国や自治体の組織が縦割りになっており、かつ法制度が整っていない点もありこうした取り組みが進んでいない。何故今、日本でエリアマネジメントが注目されるかは、「少子高齢化」や「老朽化する社会資本」が原因である。また、国の予算も減少しており、インフラの維持管理に費やす費用が中心となっている。
・これまでの都市づくりの中で社会資本は整備されている。これからの都市づくりは、社会関係資本の構築が必要になってきている。(大きなエリアではなく小さなエリアで。官から民へ。)ダボス会議ででた「ステークホルダー資本主義」も同様である。今後のQOL向上のためには、SDGsにも貢献する、自然資本・人的資本への投資が必要な時代になってきている。
*「智の木協会」は、Plant Friendly Lifeの役割を果たしている組織である。
 
(2)エリアマネジメントの活動
・全国エリアマネジメントネットワークに入会いただいている活動組織は43団体あり、私はその副会長を拝命している。このネットワークは、「交わる」「深める」「広める」「支える」の4つの活動方針を軸に、実践者や研究者、国・行政の方など、エリアマネジメントに係る多様な人々が集まり・繋がる場である。組織の大きさで会費は異なるが、約1,000万円を超える年間予算で国際会議なども開催している。地域に寄り添うエリアマネジメント活動を実践することが重要である。
・国内事例の紹介として、まず、梅田地区エリアマネジメント実践協議会は、2009年11月にJR西日本、阪急、阪神グランフロント大阪TMOの4社で設立した任意団体。この梅田地区周辺の都市再生事業ができる前に立ち上げ、公共空間を使って梅田エリアの賑わい形成のための各種イベントを開催してきた。
・国内の第二例は、東京の「大(大手町)丸(丸の内)有(有楽町)」。三菱地所が主体的に関与する120haで、20年かけてビルの建て替えと併せてエリアマネジメントに取り組んでいる。公共空間のリノベーションとして仲通りの事例を紹介する。もともと丸の内は官庁街で土日は人も歩いていなかったが、今は、土日の歩行者交通量も2~3倍になり、ニューヨークのタイムズスクエアを思わせるような街並みになっている。
・国内の第三事例は、札幌駅前地区である。地下鉄直下の地下街「チ・カ・ホ」を運営しており、稼いで自立しているエリアマネジメント組織(第3セクター15名の会社)である。官からの人はおらず、プロパー社員のみであり、アメリカのBIDを参考にしている先進的な会社。主な業務は道路の指定管理である。一番大きな収入は地下道の側壁に設置する広告費で(約1.4億円)、その他はイベントスペース等の場所貸しである。この会社の儲けは街に還元するということになっており、エリアマネジメントの好循環を生み出すプラットフォームになっている。また、この会社は行政にまかせない、我々がまちの世話役であるという方針で進めている。

(3)エリアマネジメントを支える法制度
・2015年から開始された法制度がある。グランフロント大阪周辺の歩道の維持管理費用を大阪市が建物所有者から分担金として徴収する条例が始まった。大阪市は、これを欧米のBIDのように広く普及させようと考えたが、現在は、グランフロント大阪だけである。分担金制度の活用範囲が公物管理に限定されており、欧米のようなイベント活動費用に利用できない点があることから、普及が難しい側面もある。2018年6月には、欧米のBIDに相当する制度が、内閣府地域再生エリアマネジメント負担金制度として、誕生しました。この負担金制度は、エリアマネジメント組織が受益者の2/3以上の同意をとれば、行政が負担金を強制徴収することができるものです。法制度は整いましたが、まだ全国で利用された事例はありません。この制度を日本で最初に大阪梅田地区で導入できるよう検討をしております。
・今年は、私が代表理事を務める一般社団法人大阪梅田エリアマネジメントが主体となり、国(内閣府)から地方創生推進交付金を獲得し、10/17(土)に「梅田あるくフェス」という健康イベントをテラプロジェクトと連携して開催する予定です。このイベントが、来街者、オフィスワーカー、テナント、建物所有者にどのような効果があるか検証をしますので、皆さんも機会があれば是非参加していただきたい。
*この後、参加者からの質疑応答が行われた。(内容省略)

 

5. 閉会挨拶

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清水建設株式会社 開発営業部長 豊田桃介 様
(智の木協会 専門委員)
・最初に、智の木協会の活動への日頃からのご支援、本日の参加(会場&WEB)誠にありがとうございました。また、本日、ご講演いただきました植松先生には、我々にとって大変有意義な話題をご提供いただき、厚くお礼を申しあげます。
・今回の植松先生のご講演における街づくりのお話を聞くと、今から10数年前に小林代表幹事を中心に、我々がここ富国生命ビル内に「智の木協会」「テラプロジェクト」を立ち上げた時の想い出が浮かんできます。今後とも「智の木協会」と「テラプロジェクト」が連携し、会員サービスの向上や産学連携の取り組みを強化されることを期待しております。
・最後に、寺谷新理事長ならびに小林代表幹事のもと2020年度の「智の木協会」の活動は、このコロナ禍の中で例年とは少し変わる活動になるかもしれませんが、引き続き会員の皆さまにはご支援賜りたいと存じます。本日は、誠にありがとうございました。

以上

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第4回 智の泉談話会 ご報告

1. 開催日時   2020年6月6日 14時-16時
2. 開催場所   テラプロジェクト Dゾーン
3. 参 加 者  個人会員:5名 事務局:5名 (計:10名)
4. 話題提供者  大阪大学大学院工学研究科  赤松史光教授
       (智の木協会 学術理事)

5. 談話会
話題提供
化石燃料の大量消費と環境問題を解決するためのエネルギーキャリア戦略- 水素社会の実現を目指して - 」

 2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」で、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標として、地球上の「誰一人取り残さない」ことを誓い、SDGsとして、17のゴールと169のターゲットが設定された。SDGsのゴール13は「気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる」とされている。
 一方、気候変動問題は,国際社会が一体となって直ちに取り組むべき重要な課題であり、国際社会は,1995年から毎年,国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)を開催してきた。2015年12月,フランスのパリで開催された第21回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)では,2020年以降の温室効果ガス排出削減等のための新たな国際枠組みとして,パリ協定が採択されました。パリ協定では、世界共通の長期目標として、気温上昇を2℃未満に抑えることが掲げられた。また、全ての国が共通かつ柔軟な方法で実施状況を報告し,レビューを受けることも取り決められた。
 気温上昇の主な原因は、化石燃料の燃焼によって生じる炭酸ガスである。炭酸ガスには、赤外線を選択的に吸収し、再び放出する性質がある。このため、太陽からの光で暖められた地球から宇宙へ向かう赤外線が、炭酸ガスによって熱として大気に蓄積され、再び地球の表面に戻ってくる。大気中の炭酸ガスが増えると、戻る赤外線も増えて、地球の表面付近の大気を暖め、気温が上昇する。この炭酸ガスによる気温上昇を温室効果と呼ぶ。
 世界共通の長期目標である気温上昇を2℃未満に抑えるために、日本は炭酸ガスの排出量を2030年には-26%(対2013年比)、2050年には-80%(対2013年比)まで削減することを宣言している。日本での炭酸ガス排出は、発電所(40%)、製造工場(25%)、運輸・物流(18%)、商業・サービス(6%)、家庭(5%)で94%を占める。
 炭酸ガスは出量の最も多い発電所は、東日本大震災後の原子力発電所の休停止によって、石炭など化石燃料の使用割合が増加している。発電所での一次エネルギーは、石油(41%)、石炭(26%)、天然ガス(24%)の化石燃料で90%を超える。特に、発生する熱量当りの炭酸ガス排出量の多い石炭の割合が大きいことで、諸外国から非難を浴びている。日本は、COP25の期間中に、温暖化対策に消極的な国に与える不名誉な賞である化石賞を受賞した。大口の投資元である先進国の年金基金などの中には、石炭火力、その関連産業へは新たに投資せず、保有している株式を売却する動きも見られる。
 日本は、当面国内の原子力に頼れない。島国の日本は、隣国のフランスの原子力発電に頼るドイツのように、韓国や中国の原子力炭酸ガス排出量を削減することも出来ない。当たり前だが、日本は、再生可能エネルギーを開発すべきだ。しかし、国内の発生する再生可能エネルギーだけで、厖大なエネンルギー需要を賄うことは簡単ではない。国内の再生可能エネルギー開発の他に日本が採るべき道は、海外の再生可能エネルギーを水素に転換して日本へ輸送し、発電や燃料電池に使用することと、海外の化石燃料を現地で水素やアンモニアに変換して、国内に輸送して利用することである。
 再生可能エネルギーの中で、太陽光発電は発電量が季節、天候に左右される。また、そもそも夜は発電できない。一方、風力発電は、昼夜を問わず発電できるが、採算の良い風の強い発電適地(アフリカ大陸南端、南アメリカ大陸南端、ニュージーランド南島など)が電力消費地から遠いことが多い。電力は現在の送電技術で送電すると、数100㎞が限度である。風力による潜在的な発電量は日本の消費電力量の8倍もあり、発電コストが1/10のパタゴニアで発電したエネルギーを液体水素やアンモニア等の水素キャリアに変換して日本へ運べば、炭酸ガス排出の無いエネルギーを利用できる。
 一方、海外の化石燃料を水素へ変換し日本へ輸送する方法は、日豪政府と企業によって既に取り組まれている。オーストラリアのビクトリア州の褐炭から、水素を取りだし日本へ輸送する計画である。オーストラリア南東部のビクトリア州から海路で日本へ液化水素を輸送する場合、タンカーは政情が不安定なホルムズ海峡を通過しなくてよい。計画は、褐炭からの水素ガス製造・液化技術、液化した水素の長距離・大量輸送技術、液化水素の荷役技術の実証に分割して、取り進められている。褐炭とは、石炭化が不十分な低品位の石炭のことで、水分や灰分が多く、乾燥すると自然発火の危険があるために輸送に適さないなどの難点がある。世界の石炭埋蔵量の半分が褐炭だが、流通はほとんどなく、地元に建設した発電所などで消費されていた。ビクトリア州ラトルブバレーの褐炭の埋蔵量は、理論上、日本の総発電量の240年分に匹敵する。なお、褐炭から水素と取り出す時に発生する炭酸ガスは、褐炭田の沖合約80キロ先にある枯渇しかけた海底油田に注入して、貯留(CCS)することが計画されている。
 ところで、水素を輸送するためには、液化しなければならない。水素は、-253℃に冷却して初めて液化する。専用の設備を設置した大規模発電所では問題がないが、中小規模の一次エネルギーとして利用するためには燃焼方法、設備の更新が必要である。また、ポータブルエネルギーとして、自動車搭載の燃料電池として利用する時にも、水素ステーション、搭載タンクなどの安全性が問題となる。
 一方、水素と同じ無機燃料であるアンモニアは、常温で8.5気圧まで圧縮すれば液化する。加えて、液体アンモニアは液体水素よりも体積当りのエネルギーが大きい。このため、液体アンモニアは、タンクが常温で、小型化でき、貯蔵・輸送面で優れている。アンモニアの欠点は、毒性である。しかし、アンモニアの刺激臭は強烈で人が忌避するので、ガソリンスタンドのガソリンと同程度の危険性と考えることもできる。水素からアンモニアを製造する技術は既に確立していて、実証プラントが稼働している。カーボンフリー水素でアンモニアを合成し日本へ輸送し、石炭混焼発電、アンモニア直接燃焼によるガスタービン発電・工業炉、アンモニア燃料電池への利用が進めば、炭酸ガス排出量の大幅な削減が見込まれる。
 アンモニアの燃焼の特徴である層流燃焼速度(燃料が燃える速度が低いこと、火炎の温度が低いことなどが、実用化を妨げる可能性があった。大阪大では酸素富化燃焼によって、この問題を解決した。これによって、製造工場の工業炉にアンモニア燃焼炉を取り入れて、炭酸ガス排出量を削減する道が開けた。

 

6. 事務局後書
 今回は、リモートで談話会を行いました。会員のみなさまも、テレワークや遠隔授業でご経験されていることを鑑み、with コロナ時代に相応しいように、リモートでの談話会へのご参加を常態化していきたいと思います。

2020年 新年講演会 ご報告

1. 開催日時  2020年1月28日 16時-17時30分
2. 開催場所  テラプロジェクト Aゾーン
3. 参加者   企業正会員:4社 賛助企業会員:4社 個人会員:28名 事務局:6名 計:42名
4. 講  師  大阪府弥生文化博物館 総括学芸員 中尾 智行様 
5. 演  題  「日本食が生まれるまで-1万年の食文化史-」
6. 講演内容 (概要)

(1) 自己紹介
 奈良大学で考古学を学ぶ。大阪と鳥取で20年ほど遺跡の発掘調査をしてきた。2013年から大阪府弥生文化博物館の学芸員となり、展示や教育事業のかたわら弥生時代の度量衡を研究している。考古学の道に進んだのは、中学生の頃に社会の先生から聞いた話がきっかけだった。その話とは、イランのシャニダール洞窟で、ネアンデルタール人の骨の回りの土から花粉が発見され、ネアンデルタール人が仲間の死を悼み、献花していたとされる研究成果だった。
「考古学は、時間を超えて、遠い過去に生きた人の心を知ることができる学問だ。」との言葉に魅力を感じ、考古学の道に進んだ。
 ところが、後になって、骨の周りの花粉は、洞窟周辺に生息するネズミの一種が運び込んだものと解かった。シャニダール洞窟以外のネアンデルタール人の骨の周りからは花粉が発見されないので、現在では、ネアンデルタール人は埋葬儀礼を持っていなかったとされている。

(2) 旧石器時代
 昔の教科書などでは、“旧石器時代に、気候が現在よりも寒冷であったために海退が起こり、日本列島と大陸が陸続きとなり、旧石器人が大陸から陸地を歩いて日本にやって来た。”と言われてきた。しかし、日本列島に確実に人類がいた証拠がある後期旧石器時代(4万年前~)で最も海面が低下していたのは、約2万年前で海面の低下は120m程度と推定されている。このため、水深の大きな対馬海峡津軽海峡は陸地化せず、日本列島(本州)と大陸は陸続きでは無かった。琉球列島にも旧石器人がいたことから、現在では、旧石器人が舟で日本にやって来たと言う説が有力となっている。
 旧石器人は、ナウマン象やシカなどの大型獣のほか、ハシバミの実など植物資源も利用していた。沖縄の旧石器遺跡では、巻貝から造った釣り針が見つかっており、漁労も行っていた。また、貝、淡水の蟹、鰻などの食物残滓もみつかっている。

(3) 縄文時代
 縄文時代は、1万6千年前に始まった。土器は、縄文時代になって初めて生まれる。土器によって、縄文人は煮ることができるようになった。世界の中で最も古い土器は、日本で発見されている。最近はそれよりも古い土器が中国でみつかったともされ論争を呼んでいるが、東アジアで土器が発明されたのは間違いないようだ。縄文人は、貝も食べ、日本各地に貝塚を築いた。貝塚の貝の大きさを調査すると、縄文人が小さな貝を採らずに、資源管理していたことが解る。貝塚には、ニホンカワウソやイルカの骨なども混じっている。

(4) 弥生時代
 弥生時代になって、穀物生産が始まった。2007年に第二京阪道路の工事現場から発見された土器は、近畿最古の弥生土器であった。この時に、約2600年前の炭化した米も見つかっている。
 土器圧痕レプリカ法によって、土器製作時に粘土に押し付けられた穀物の種類が正確に判定できるようになった。「縄文稲作」の根拠ともなっていた縄文時代中期などの土器にあった圧痕は米ではなく、現在では稲作の始まりは遡っても縄文時代晩期(終末期)に始まったと考えられるようになった。だが、この時、アワやキビが同時に栽培されていたことがわかっている。複合的な穀類生産は、洪水などの災害や天候不順に備えた戦略だった。弥生人は、イネを低地の水田で栽培し、丘陵地の畑でアワやキビを栽培してリスクヘッジしていた。
 弥生文化博物館で展示している「卑弥呼の食卓」をみてみよう。弥生人の食べていたのは、キビ餅(エゴマ付)、アワ団子、ハマグリ、イイダコなどだった。他にも、豚と芋の煮物がある。豚の骨の傷から、弥生人が栄養価の高い骨髄を取り出して食べていたことも解っている。
 縄文土器弥生土器の大きな違いは、上部の開口部にある。縄文土器では上部は垂直に立ち上がっているのに対して、弥生土器では上部が外側へ屈曲している。これは、蓋を安定的に置くためだった。土器に残っている吹きこぼれの痕から推定すると、弥生時代の米の炊飯方法には、炊き干し法と湯取り法があった。いずれにせよ、蓋が必要であり、弥生土器の特徴的な形状が生まれた。
日本人は、混ぜご飯ではなく、白ご飯で米を食べる。野菜、魚、肉の繊細な味や香りを楽しむためには、白ご飯でなければならない。日本人の食品の食べ方は、白ご飯を食べ出した弥生時代にその源があると考えている。

(5) 質疑
① 米の日本への伝来ルートについて、朝鮮半島ルートは寒冷地経由なので疑問だという意見もあるようだが、どうですか?
→考古学では、物証を基礎に考える。稲が伝来した時には、必ず、稲や稲作の周りの物も伝来しているはずである。北九州と朝鮮半島の人を介する土器などの連続性や、近年、朝鮮半島の発掘調査で稲作の証拠が発見されていることから、朝鮮半島ルートで間違いないと思っている。

弥生時代の味付けは、どうなっていたのでしょうか?
エゴマの話をしましたが、調味料はよくわかっていない。弥生時代の住居は半地下なので、東南アジアのように、魚醬を造っていたことも考えられる。

貝塚が多い国は日本だけだと思うが、貝塚の分布と銅鐸の分布が重なるが、福建省日本人ルーツ説との関係はどうか?
→現在までのところ、福建省日本人ルーツ説を裏付ける直接的な遺跡・遺物は見つかっていない。縄文時代貝塚の中には、部落単位の消費量を大きく上回る規模の物がある。季節を選んで干し貝を生産して、内陸部と交易した可能性がある。縄文時代弥生時代の差は大きい。弥生時代貝塚は少ないので、銅鐸と貝塚の関係を議論することは難しい。

7. 事務局後書
 大変興味深いご講演でした。大阪という身近なところで、様々な考古学的発見があったことに驚きました。紙幅の関係で、概要でしかご報告できないことが残念です。また、開会と閉会のご挨拶は、省略させていただきました。