智の木協会活動報告

智の木協会の活動報告ブログです

第4回 智の泉談話会 ご報告

1. 開催日時   2020年6月6日 14時-16時
2. 開催場所   テラプロジェクト Dゾーン
3. 参 加 者  個人会員:5名 事務局:5名 (計:10名)
4. 話題提供者  大阪大学大学院工学研究科  赤松史光教授
       (智の木協会 学術理事)

5. 談話会
話題提供
化石燃料の大量消費と環境問題を解決するためのエネルギーキャリア戦略- 水素社会の実現を目指して - 」

 2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」で、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標として、地球上の「誰一人取り残さない」ことを誓い、SDGsとして、17のゴールと169のターゲットが設定された。SDGsのゴール13は「気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる」とされている。
 一方、気候変動問題は,国際社会が一体となって直ちに取り組むべき重要な課題であり、国際社会は,1995年から毎年,国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)を開催してきた。2015年12月,フランスのパリで開催された第21回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)では,2020年以降の温室効果ガス排出削減等のための新たな国際枠組みとして,パリ協定が採択されました。パリ協定では、世界共通の長期目標として、気温上昇を2℃未満に抑えることが掲げられた。また、全ての国が共通かつ柔軟な方法で実施状況を報告し,レビューを受けることも取り決められた。
 気温上昇の主な原因は、化石燃料の燃焼によって生じる炭酸ガスである。炭酸ガスには、赤外線を選択的に吸収し、再び放出する性質がある。このため、太陽からの光で暖められた地球から宇宙へ向かう赤外線が、炭酸ガスによって熱として大気に蓄積され、再び地球の表面に戻ってくる。大気中の炭酸ガスが増えると、戻る赤外線も増えて、地球の表面付近の大気を暖め、気温が上昇する。この炭酸ガスによる気温上昇を温室効果と呼ぶ。
 世界共通の長期目標である気温上昇を2℃未満に抑えるために、日本は炭酸ガスの排出量を2030年には-26%(対2013年比)、2050年には-80%(対2013年比)まで削減することを宣言している。日本での炭酸ガス排出は、発電所(40%)、製造工場(25%)、運輸・物流(18%)、商業・サービス(6%)、家庭(5%)で94%を占める。
 炭酸ガスは出量の最も多い発電所は、東日本大震災後の原子力発電所の休停止によって、石炭など化石燃料の使用割合が増加している。発電所での一次エネルギーは、石油(41%)、石炭(26%)、天然ガス(24%)の化石燃料で90%を超える。特に、発生する熱量当りの炭酸ガス排出量の多い石炭の割合が大きいことで、諸外国から非難を浴びている。日本は、COP25の期間中に、温暖化対策に消極的な国に与える不名誉な賞である化石賞を受賞した。大口の投資元である先進国の年金基金などの中には、石炭火力、その関連産業へは新たに投資せず、保有している株式を売却する動きも見られる。
 日本は、当面国内の原子力に頼れない。島国の日本は、隣国のフランスの原子力発電に頼るドイツのように、韓国や中国の原子力炭酸ガス排出量を削減することも出来ない。当たり前だが、日本は、再生可能エネルギーを開発すべきだ。しかし、国内の発生する再生可能エネルギーだけで、厖大なエネンルギー需要を賄うことは簡単ではない。国内の再生可能エネルギー開発の他に日本が採るべき道は、海外の再生可能エネルギーを水素に転換して日本へ輸送し、発電や燃料電池に使用することと、海外の化石燃料を現地で水素やアンモニアに変換して、国内に輸送して利用することである。
 再生可能エネルギーの中で、太陽光発電は発電量が季節、天候に左右される。また、そもそも夜は発電できない。一方、風力発電は、昼夜を問わず発電できるが、採算の良い風の強い発電適地(アフリカ大陸南端、南アメリカ大陸南端、ニュージーランド南島など)が電力消費地から遠いことが多い。電力は現在の送電技術で送電すると、数100㎞が限度である。風力による潜在的な発電量は日本の消費電力量の8倍もあり、発電コストが1/10のパタゴニアで発電したエネルギーを液体水素やアンモニア等の水素キャリアに変換して日本へ運べば、炭酸ガス排出の無いエネルギーを利用できる。
 一方、海外の化石燃料を水素へ変換し日本へ輸送する方法は、日豪政府と企業によって既に取り組まれている。オーストラリアのビクトリア州の褐炭から、水素を取りだし日本へ輸送する計画である。オーストラリア南東部のビクトリア州から海路で日本へ液化水素を輸送する場合、タンカーは政情が不安定なホルムズ海峡を通過しなくてよい。計画は、褐炭からの水素ガス製造・液化技術、液化した水素の長距離・大量輸送技術、液化水素の荷役技術の実証に分割して、取り進められている。褐炭とは、石炭化が不十分な低品位の石炭のことで、水分や灰分が多く、乾燥すると自然発火の危険があるために輸送に適さないなどの難点がある。世界の石炭埋蔵量の半分が褐炭だが、流通はほとんどなく、地元に建設した発電所などで消費されていた。ビクトリア州ラトルブバレーの褐炭の埋蔵量は、理論上、日本の総発電量の240年分に匹敵する。なお、褐炭から水素と取り出す時に発生する炭酸ガスは、褐炭田の沖合約80キロ先にある枯渇しかけた海底油田に注入して、貯留(CCS)することが計画されている。
 ところで、水素を輸送するためには、液化しなければならない。水素は、-253℃に冷却して初めて液化する。専用の設備を設置した大規模発電所では問題がないが、中小規模の一次エネルギーとして利用するためには燃焼方法、設備の更新が必要である。また、ポータブルエネルギーとして、自動車搭載の燃料電池として利用する時にも、水素ステーション、搭載タンクなどの安全性が問題となる。
 一方、水素と同じ無機燃料であるアンモニアは、常温で8.5気圧まで圧縮すれば液化する。加えて、液体アンモニアは液体水素よりも体積当りのエネルギーが大きい。このため、液体アンモニアは、タンクが常温で、小型化でき、貯蔵・輸送面で優れている。アンモニアの欠点は、毒性である。しかし、アンモニアの刺激臭は強烈で人が忌避するので、ガソリンスタンドのガソリンと同程度の危険性と考えることもできる。水素からアンモニアを製造する技術は既に確立していて、実証プラントが稼働している。カーボンフリー水素でアンモニアを合成し日本へ輸送し、石炭混焼発電、アンモニア直接燃焼によるガスタービン発電・工業炉、アンモニア燃料電池への利用が進めば、炭酸ガス排出量の大幅な削減が見込まれる。
 アンモニアの燃焼の特徴である層流燃焼速度(燃料が燃える速度が低いこと、火炎の温度が低いことなどが、実用化を妨げる可能性があった。大阪大では酸素富化燃焼によって、この問題を解決した。これによって、製造工場の工業炉にアンモニア燃焼炉を取り入れて、炭酸ガス排出量を削減する道が開けた。

 

6. 事務局後書
 今回は、リモートで談話会を行いました。会員のみなさまも、テレワークや遠隔授業でご経験されていることを鑑み、with コロナ時代に相応しいように、リモートでの談話会へのご参加を常態化していきたいと思います。

2020年 新年講演会 ご報告

1. 開催日時  2020年1月28日 16時-17時30分
2. 開催場所  テラプロジェクト Aゾーン
3. 参加者   企業正会員:4社 賛助企業会員:4社 個人会員:28名 事務局:6名 計:42名
4. 講  師  大阪府弥生文化博物館 総括学芸員 中尾 智行様 
5. 演  題  「日本食が生まれるまで-1万年の食文化史-」
6. 講演内容 (概要)

(1) 自己紹介
 奈良大学で考古学を学ぶ。大阪と鳥取で20年ほど遺跡の発掘調査をしてきた。2013年から大阪府弥生文化博物館の学芸員となり、展示や教育事業のかたわら弥生時代の度量衡を研究している。考古学の道に進んだのは、中学生の頃に社会の先生から聞いた話がきっかけだった。その話とは、イランのシャニダール洞窟で、ネアンデルタール人の骨の回りの土から花粉が発見され、ネアンデルタール人が仲間の死を悼み、献花していたとされる研究成果だった。
「考古学は、時間を超えて、遠い過去に生きた人の心を知ることができる学問だ。」との言葉に魅力を感じ、考古学の道に進んだ。
 ところが、後になって、骨の周りの花粉は、洞窟周辺に生息するネズミの一種が運び込んだものと解かった。シャニダール洞窟以外のネアンデルタール人の骨の周りからは花粉が発見されないので、現在では、ネアンデルタール人は埋葬儀礼を持っていなかったとされている。

(2) 旧石器時代
 昔の教科書などでは、“旧石器時代に、気候が現在よりも寒冷であったために海退が起こり、日本列島と大陸が陸続きとなり、旧石器人が大陸から陸地を歩いて日本にやって来た。”と言われてきた。しかし、日本列島に確実に人類がいた証拠がある後期旧石器時代(4万年前~)で最も海面が低下していたのは、約2万年前で海面の低下は120m程度と推定されている。このため、水深の大きな対馬海峡津軽海峡は陸地化せず、日本列島(本州)と大陸は陸続きでは無かった。琉球列島にも旧石器人がいたことから、現在では、旧石器人が舟で日本にやって来たと言う説が有力となっている。
 旧石器人は、ナウマン象やシカなどの大型獣のほか、ハシバミの実など植物資源も利用していた。沖縄の旧石器遺跡では、巻貝から造った釣り針が見つかっており、漁労も行っていた。また、貝、淡水の蟹、鰻などの食物残滓もみつかっている。

(3) 縄文時代
 縄文時代は、1万6千年前に始まった。土器は、縄文時代になって初めて生まれる。土器によって、縄文人は煮ることができるようになった。世界の中で最も古い土器は、日本で発見されている。最近はそれよりも古い土器が中国でみつかったともされ論争を呼んでいるが、東アジアで土器が発明されたのは間違いないようだ。縄文人は、貝も食べ、日本各地に貝塚を築いた。貝塚の貝の大きさを調査すると、縄文人が小さな貝を採らずに、資源管理していたことが解る。貝塚には、ニホンカワウソやイルカの骨なども混じっている。

(4) 弥生時代
 弥生時代になって、穀物生産が始まった。2007年に第二京阪道路の工事現場から発見された土器は、近畿最古の弥生土器であった。この時に、約2600年前の炭化した米も見つかっている。
 土器圧痕レプリカ法によって、土器製作時に粘土に押し付けられた穀物の種類が正確に判定できるようになった。「縄文稲作」の根拠ともなっていた縄文時代中期などの土器にあった圧痕は米ではなく、現在では稲作の始まりは遡っても縄文時代晩期(終末期)に始まったと考えられるようになった。だが、この時、アワやキビが同時に栽培されていたことがわかっている。複合的な穀類生産は、洪水などの災害や天候不順に備えた戦略だった。弥生人は、イネを低地の水田で栽培し、丘陵地の畑でアワやキビを栽培してリスクヘッジしていた。
 弥生文化博物館で展示している「卑弥呼の食卓」をみてみよう。弥生人の食べていたのは、キビ餅(エゴマ付)、アワ団子、ハマグリ、イイダコなどだった。他にも、豚と芋の煮物がある。豚の骨の傷から、弥生人が栄養価の高い骨髄を取り出して食べていたことも解っている。
 縄文土器弥生土器の大きな違いは、上部の開口部にある。縄文土器では上部は垂直に立ち上がっているのに対して、弥生土器では上部が外側へ屈曲している。これは、蓋を安定的に置くためだった。土器に残っている吹きこぼれの痕から推定すると、弥生時代の米の炊飯方法には、炊き干し法と湯取り法があった。いずれにせよ、蓋が必要であり、弥生土器の特徴的な形状が生まれた。
日本人は、混ぜご飯ではなく、白ご飯で米を食べる。野菜、魚、肉の繊細な味や香りを楽しむためには、白ご飯でなければならない。日本人の食品の食べ方は、白ご飯を食べ出した弥生時代にその源があると考えている。

(5) 質疑
① 米の日本への伝来ルートについて、朝鮮半島ルートは寒冷地経由なので疑問だという意見もあるようだが、どうですか?
→考古学では、物証を基礎に考える。稲が伝来した時には、必ず、稲や稲作の周りの物も伝来しているはずである。北九州と朝鮮半島の人を介する土器などの連続性や、近年、朝鮮半島の発掘調査で稲作の証拠が発見されていることから、朝鮮半島ルートで間違いないと思っている。

弥生時代の味付けは、どうなっていたのでしょうか?
エゴマの話をしましたが、調味料はよくわかっていない。弥生時代の住居は半地下なので、東南アジアのように、魚醬を造っていたことも考えられる。

貝塚が多い国は日本だけだと思うが、貝塚の分布と銅鐸の分布が重なるが、福建省日本人ルーツ説との関係はどうか?
→現在までのところ、福建省日本人ルーツ説を裏付ける直接的な遺跡・遺物は見つかっていない。縄文時代貝塚の中には、部落単位の消費量を大きく上回る規模の物がある。季節を選んで干し貝を生産して、内陸部と交易した可能性がある。縄文時代弥生時代の差は大きい。弥生時代貝塚は少ないので、銅鐸と貝塚の関係を議論することは難しい。

7. 事務局後書
 大変興味深いご講演でした。大阪という身近なところで、様々な考古学的発見があったことに驚きました。紙幅の関係で、概要でしかご報告できないことが残念です。また、開会と閉会のご挨拶は、省略させていただきました。

第3回 智の泉談話会 報告

1.  開催日時   2020年1月18日 14時-16時
2. 開催場所    テラプロジェクト Aゾーン
3. 参加者        企業賛助会員:2社 個人会員:9名
       外部参加:10名 事務局:6名

4. 話題提供者   智の木協会理事  吉信勝之氏
       ソングライター  松井宏太氏

5. 談話会

 

(1) 話題提供 「ビートルズが社会に与えた影響」

 ビートルズは、1962年にイギリスのリバプール市で生まれた。イギリスは、グレートブリテン島スコットランド王国イングランド王国ウェールズ公国アイルランド島の北部(北アイルランド)からなる連合王国である。リバプールは、十三世紀にイングランドに併合されたウェールズ公国にある港町である。産業革命後は、マンチェスターに近いこともあり、ロンドンと並ぶ貿易港となり、三角貿易(イギリスから工業製品をアフリカへ運び、アフリカから黒人奴隷を西インド諸島北米大陸に運び、アメリカからタバコや綿花などを積み込んでイギリスに帰ってくる貿易)で栄えた。しかし、リバプールは、ロンドンに次ぐ貿易港だったために、第二次世界大戦中に、ドイツのV 2号ロケットなどの空襲で破壊しつくされた。戦後、日本やドイツの大都市が一早く復興したのに、リバプールの復興は遅れた。イギリス国内でも、取り残された都市となった。
 イギリスは、「伝統の国」と言われるが、それは社会が今でも階級社会であることの裏返しの言い方である。イギリスは、地主・貴族を中心とする上流階級、実業家・専門職などの中流階級、そしていわゆる労働者階級の三つの階級からなる階級社会である。上流階級は、十一世紀に、ウィリアム1世がイングランドノルマン朝を開いた時に随行してフランスから渡ってきた貴族とその後に貴族に叙せられた新しい貴族の末裔たちが属する。また、「ジェントリ」と呼ばれる大土地所有者や資本主義社会の発展の中で,財をなした資本家階級も上流階級に属する。中産階級には、産業革命以降の経済的発展が生んだ中小企業経営者や,医者・弁護士などが属する。一方、労働者階級は,基本的に資本家の用意した職場で働く以外の収入を持たず、劣悪な生活環境しか享受できない。
 では、ビートルズの四人はと言うと、ジョンを引き取ったミミおばさんの家は中産階級であった。ジョージとポールの家庭は、労働者階級の上層だった。リンゴの家は、労働者階級だった。ビートルズは、イギリスの復興の遅れた街のどちらかと言えば、労働者階級の若者から生まれた。
 1962年にビートルズが生まれ、イギリス発の音楽が世界を席巻したことは、様々な面で芸術史に残る画期的なことであった。十一世紀に、ノルマン朝によってイングランドにはノルマン人(アングロサクソン)が移住したてきたが、スコットランドアイルランドウェールズには、ケルト人が住んでいた。その後のイギリスの歴史には、シェイクスピの戯曲以外に、これと言った芸術が生まれていない。その原因は、「イギリスがどの時代でも戦争を行っていたからだ。」と言われている。その、芸術を生まないイギリスから、二十世紀に新しい音楽を世界へ届けたのが、ビートルズだった。

 ビートルズの楽曲の80%は、若い男女の恋愛の歌である。残りの20%は、自分自身の内面、人種差別撤廃、世界平和などを歌っている。

 「ゆりかごから墓場まで」と言われたイギリスの社会福祉政策は、労働者階級の社会保障制度の一環であった。しかし、ビートルズの輝いた1960年代には、頻発する労働紛争と経済成長の不振から、イギリスはドイツやフランスから「ヨーロッパの病人」と呼ばれた。低経済成長下で、社会保障制度を維持するために、労働党ウイルソン政権は、富裕層への累進課税を強化し、その税率は最高では95%に達した。
 ビートルズのメンバーの収入は、この最高税率に該当した。ジョージは、95%と言う途方もない税率を皮肉って、Taxmanを発表した。また、ポールは、国民が大きな犠牲を払って守っているはずの社会保障制度下で起こる悲劇を、身寄りの無い老婆と孤独な神父に託した物語調の曲、Eleanor Rigby で歌った。
 一方、ビートルズは、アメリカの公民権運動にも大きな関心を持っていた。1964年のアメリカツアーは、8月に北部や西海岸から始まり、9月11日はフロリダ州のジャクソンビルでのコンサートだった。既に、人種差別を撤廃する公民権法が発効しているにも拘らず、南部では多くの場所で、有色人と白人の座席が区切られ、黒人は隔離され差別されていた。ビートルズは、「その境界を取り払うまでプレイしない」とコンサートの開始を拒否した。結局、ジャクソンビルのビートルズのコンサートで、初めて、有色人と白人が同じ座席で音楽を楽しんだ。
 ビートルズは、「僕らはすべての人々のために演奏し歌っている。この人とか、あの人という特定の人たちのためにプレイしたいんじゃない。ただ皆のためにプレイしたかったんだ」と語っている。その後、南部でも、コンサート会場で有色人と白人の座席を区切ることがなくなった。
 ポールは、1968年に、Blackbird を発表して、公民権運動を支援した。ブラックバードは、ヨーロッパに広く生息しているツグミの一種だが、Blackbirdではアフリカ系アメリカ人の女性のことを象徴している。半世紀後の2016年に、ポールはアーカンソー州ノース・リトルロックで、Blackbirdを作詞・曲する時にインスピレーションとなった黒人女性たちと対面した。女性たちは、1957年に起こったリトル・ロック高校事件のLittle Rock Nine(リトルロックの9人)のメンバーの中の二人だった。その夜に行われたコンサートで、ポールはBlackbirdを紹介する時、「60年代、アメリカで、そして、特にこの地、リトル・ロックで公民権をめぐるたくさんのトラブルがありました。僕らは、それを英国で知ました。僕にとっては、この地こそが公民権運動が始まった場所だから、僕らにとって本当に大切な場所なのです。僕らは、何が起きているのかを知って、大変な思いをしている人達に同情しました。そのことが、僕に、もし辛い思いをしている人達に届いたら、少しでも助けになるような曲を造ろうと思わせたのです。そして、その曲が次の曲です」と、話したという。

 ビートルズは、現代音楽に、クラッシク音楽並みの芸術性を吹き込んんだ。一方で、ビートルズは、若者を肯定する文化をイギリスに、そして世界に持ち込み、新しいファッション、髪型、提案した。音楽業界にも、新しい風を送り込んだ。職業作詞家、作曲家は彼らから始まった。自分たちのレコード会社を持ち、印税をビジネス化した。音楽から映画まで自分たちの会社で、取り仕切った。

 生存しているビートルズのメンバーは、80歳を超えた。イギリスでは、ビートルズが過去の現象となりつつある。しかし、日本で、そして世界では、ビートルズは今でもing である。昨年末に、1964年に制作されたモノクロの映画「ハード・デイズ・ナイト」が、京都、兵庫(新開地)、宮崎の劇場で上映された。ビートルズコピーバンドが最後まで残るのは、日本ではないか、とも言われている。今この時も、世界のどこかの国で、ビートルズの曲が聞かれ、映画が上映されている。

6. 事務局後書

 話題提供の中で、松井宏太さんにBlackbirdを歌ってもらいました。また、話題提供の後にStand by Me、While My Guitar Gently Weeps、Let It Beを聞かせてもらいました。
 ビートルズの輝かしい功績とイギリスの現状が好対照でした。イギリスは、産業革命で強固になった階級社会が、戦勝国であったが故に温存された。その歪の中から生まれたビートルズがイギリスで忘れられようとしている。ビートルズを忘れたイギリスが、どこに流れ着くのか、関心が強くなりました。。

「第5回ヘレンドカフェ」(2019年11月9日開催)のご報告

講師:滝本 裕次 氏
      (株)SCブレイン 代表取締役
  「社団」テラプロジェクト 総合企画室長
   前 光華女子学園 事務局長補佐兼企画財務部長
   元 大阪ガス(株)和歌山地区支配人
   智の木協会 会員

 

 講師に滝本裕次氏をお迎えし、「大学を取り巻く環境変化」-私学経営の現状と今後の課題(光華女子学園を事例に)-と題してご講演いただきました。

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 光華女子学園は、大谷智子裏方によって宗教的情操豊かな女性を育成すること、京都にも親鸞の教えに基づく女子教育の場を設けることで、昭和14年に創立されました。昭和15年光華高等女学校の開学に始まり、昭和19年には光華女子専門学校の開学、昭和22年から25年にかけて新制中学・高校・短期大学が誕生し、昭和26年に学校法人光華女子学園が発足しました。昭和39年に大学が設置され、女子総合学園が完成するに至りました。2019年5月現在、大学院生も在籍しています。 
 しかし、日本を取り巻く社会構造の変化によって、これまでのような学園経営では対応できなくなってきた現状についてお話いただきました。少子高齢社会において大学が生き残るために、女子大学の共学化が2000年頃から論議されたそうですが、それでも超スマート社会の到来(IOT、AI、ロボットなど)と少子化が進み、女子大学のみならず、定員割れの大学が多くなり、大学は学部の見直し、大学間の統廃合など工夫を迫られる事態に直面していることを説明されました。今後、AIが人間に代わって仕事をこなす職業は無くなる可能性が高いことを示され、これからの子どもたちがどんな学部を選ぶべきなのかを考えさせられました。そんな中で、いつの時代にも人と関わる職業、また、AIやロボットなどの先端機器を修理する技術士は必要とされ続けることも学びました。
 人生100年時代の到来で高齢者が働く時代となり、「学び直し」や「副業」が推奨されることから、そこに大学の新たな役割を見出すことができるとの見解を示されました。

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第2回 智の泉談話会 報告

1.開催日時  2019年9月21日 11時~13時30分
2.開催場所  「社団」テラプロジェクト Aゾーン
3.参 加 者   個人・アカデミア会員:7名
         外部参加:3名 
         事務局:3名
4.話題提供者 株式会社 甲南保険センター
         代表取締役 社長 武田一男 氏
5.談話会

 

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武田一男 氏

・株式会社 甲南保険センター 代表取締役 社長
・I I A B 日本協会
 前CEO(Independent Insurance Agents & Brokers of Japan)
 現在、Executive Adviser
・智の木協会 企業会員

 

(1)話題提供(概要)

 日本では、「リスク」は危険等と訳されている。しかしリスクは一定時間が経過した時の予測と結果の差異と考えるべきである。言い替えれば、特定の状況において自然に存在する起こり得る事象の変動である。
 リスクにはそのリスク事象が具現化すれば損失だけが発生し、誰も利得しない純粋危険と、そのリスク事象が現実化すれば損する人と得する人が生まれる(損失と利得が発生する)投機的危険の二種類がある。
リスクに対処するためには、リスクマネジメントを行うことが望ましい結果を生む事が多い。
 まず、リスクを発見・確認・分析し、頻度、損失の大きさを測定する。
 次に、対策方法を選択する。
 リスクの対策方法には、損失の発生頻度と損失の大きさを削減するリスク・コントロールと、損失を補てんするための金銭的な手当てを行うリスク・ファイナンシングがあり、両者を組み合わせる。
 リスク・ファイナンシングは、資金を積み立てる事や引当金等で、損失を自己負担する「保有」と保険等で金銭的な損失を第三者に負担させる「移転」とに分かれる。
 日本ではリスクマネジメントの企業経営への導入が遅れていた。
 従前は、リスクマネジメントの欠如に拠って生じた損失を雑損に計上し、有価証券報告書に記載していた。しかし、現在においては、リスクマネジメントを行わなかった取締役の責任が追及される時代となって来た。監査等で、株主に利益を毀損したと見做され社長等の個人の債務となり、社長の相続人が相続放棄に追い込まれる事もある。

 

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 保険は金銭的な損失を第三者に移転させるリスク・ファイナンシングの重要な手法である。
 しかしながら、大正時代には保険を業となす者に対する揶揄として「袴穿きたる詐話師」と言われていた時節もあった。
 現在でも、火災保険加入者から満足な保険金を受け取れずに裏切られたと思われる事例が多くある。たとえば、建物の火災保険のケースでは、約款の比例填補条項を適用しない特約を付帯せずに契約した場合、建物の保険価額と建物に付保された保険金額の割合に損害金額を乗じて、損害保険金が支払われるため、仮に建物の保険価額が1億円の建物に全焼する事は無いからとの理由で5000万円を建物保険金額として契約した場合は、罹災が在り建築業者の復旧のお見積りの金額が2000万円と積算された場合、上記の計算式から分母が1億円、分子が5000万円となり損害金額が2000万円と積算されているので、受け取れる損害保険金は半分の1000万円となり、5000万円も掛けているのに何故1000万円しか貰えないのと言った不満が常に出ることになる。
 この事柄の原因は幾つかあり、常識的な時価について認識の錯誤が在る。
 時価とは建物であれば以前に建てた時の建築金額ではなく、現在の新築費が基準となり、古い建物だから保険金額も低いとの錯誤がある。
 現在は殆どの契約が新調達価格基準で契約でき、尚且つ実損を填補する契約を選択できる環境にある。
 保険に入る(保険を購入する)時には、先ず、リスクマネジメントの初期段階であるリスク・サーベイ(リスクの発見・確認・分析と頻度・損失の測定)を行い、リスク・サーベイの結果に基づいて、特約等を決める事が重要である。
 例えば、落雷損害においては、その損害の殆どが基本約款で担保されているが、什器備品等ではCPUのハード・ソフトは別のカバーが必要で、火災保険では不担保となっている。
 近年は集中豪雨や台風に拠り各地で水害が発生している。
 浸水すると汚水(下水)が床下や床上に入り込み、水が引いた後も堪えがたい臭気が残る。黴の発生や臭気を損害と見做す特約の付帯が必要となり、特約の付帯が無い場合は多額の費用の発生となる。
 また、最近は自治体や学校の推薦に拠り、自転車保険が販売されている。
 しかしながら、自転車保険の多くは自転車に搭乗中のみの加害責任を担保する契約であり、自転車を手押ししている時や駐輪後の転倒事故は担保の対象外とされている。従って混みあった歩道で自転車を手で押している時に、人に衝突させ相手を負傷させても補償はされない。
 同様に、一本脚スタンドで駐輪している自転車が転倒し、たまたま歩いていた小児にぶつかっても補償されず、自転車をその場に駐輪した者や自転車の所有者等が治療費等を負担する事となる。
 リスクには、思いもよらない事がある。
 企業・団体の継承にも大きなリスクがある。
 例えば、宗教法人が反社会的な団体に狙われて、墓が無縁墓地に整理されて墓地が切り売りされている。
 保険会社は、自社に有利な事しか顧客に告げない事がよくあるので、「保険会社を信用してはいけない」、企業であれば「上の立場でも、契約書は必ず自分でチェックする(部下が読んでいると思っていると、落とし穴に墜ちる)」事が必要である。

 

(2)質問など

Q.河川沿いの宅地を購入し家を建てる場合に注意すべき特約について教えてもらいたい。
A.宅地を造成する前の地図で、以前の土地の状態を確認する事が重要である。
 古地図等があれば、洪水歴や土地の履歴がある程度判る時がある。
 本来は、宅地購入前にすべきである。

 

Q.傾斜地のマンションで、降雨が多いと近くの側溝から水が敷地内に入り込む。
対策をマンション管理組合で協議するが、方法が解からない状況で終わってしまう。
A.先ず、側溝の所有者・管理責任者を調べる事が重要である。
 側溝の草取りや土砂の掃除は大切で、管理を怠ると側溝や桝(ピット/会所)から溢れた水が法面を崩したり、場合に拠っては建物基礎部が洗われたりする。
 阪神間で多い傾斜地の宅地においては、宅地造成で切り盛りした後の切土地盤か、盛土地盤かで地盤の強さが全く異なる。
 可能であれば、盛土地盤の宅地やマンションを購入しない方が望ましい。
 切土地盤か盛土地盤かは、宅地造成前の地図や古地図で調べる事が出来る。

 

以上

 

事務局後書

 話題提供(概要)の他にも、日本人がお人好のために、日本の保険会社が海外で騙されたり、大きな損害を被ったりしたお話を聞かせいただきました。
 その繋がりで、お人好の日本人を造ってしまった一因は、歴史教育明治維新の前後(どうして日本だけが植民地化を免れたか)から太平洋戦争後(どうして北海道が旧ソ連に占領されなかったのか)の期間が抜け落ちているためではないかと言った話題に広がりました。

智の木協会 創立記念講演会(11周年記念)レポート

創立記念講演会のご報告

・日時:2019年5月25日(土) 午後1時~3時

・会場:富国生命ビル4階 「社団」テラプロジェクト Aゾーン

司会:小林 裕子 智の木協会 主幹 

 

開会のご挨拶:豊田 桃介 氏 智の木協会専門委員 清水建設株式会社 開発営業部長

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 創立11年目を迎えられたのは、皆様方に活動のご理解とご支援をいただいたお蔭です、と感謝を述べられました。
 講師とタイトルについては「難しいお話ではなく、会社、仲間や家族とお酒を飲む時に、ちょっと雑学でお話できるような小話をたくさん聞かせていただけるのではないかと期待しています」また「今日は、皆様と一緒に楽しみたいと思います」と創立記念に相応しいお言葉をいただきました。
 そして、12年目に入った智の木協会の活動を、これからもご支援賜りたいとお願いされました。

 

智の木協会の活動報告:小林 昭雄 氏 智の木協会 代表幹事

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 初めて参加された方々のために、智の木協会の活動について小林代表幹事よりパンフレットに基づいて説明がありました。

 「ウィキペディアには智の木協会の創立に関する歴史が、また、実施していった項目が書いてあります。2008年の創立当時には“こんなこと、できるのかな?”というような項目が並んでいますが、これまで「社団」テラプロジェクトとコラボレーションしながら確実に進めてきています」と評価されました。ここで、智の木協会誕生の際に特に多大なご支援をいただいた月桂冠(株)様にお礼を述べられました。
 智の木協会が理念として掲げている「植育」については、商標登録できたことの報告がありました。多方面で「植育」という言葉が使われていますが、実はこの言葉は智の木協会が発想した言葉であることを強調され、幅広い活動も含めて、智の木協会は徐々に認知度が増していることもお伝えになりました。
 配布資料の国際サイエンスクラブの会報について説明がありました。大阪観光局溝畑様へのインタビューを代表幹事がまとめ、投稿したものです。大阪を売り出す形として、インバウンドの方々が日本で何を学び何を持ち帰るか考える中で、「おもてなしの精神」「質の高いサービスをやっていきましょう」という話にまとまり、「みどりでおもてなし」「Green Hospitality Osaka」をキーワードとすることに決まったと伝えられました。智の木協会も今後は「植育」の活動と共に工夫を凝らして、みどりに関連する産業の発展まで繋がれば、と期待されました。
 これまで、智の木協会と「社団」テラプロジェクトが国際的に進めてきた活動の中に、ヘレンド社とのコラボレーションがあり、ヘレンド社がCSRの一環として智の木協会の活動賛同してくださり、MIDORI-SANTAのロゴ入りカップ&ソーサ―を作っていただくことが可能になったと説明されました。国内では、モンベルの寄付付 One Green Tシャツを4,000枚作っていただいたところ、ほぼ完売したとの報告がありました。みどりの基金が返金されるそうです。
 智の木協会が発想した事柄を「社団」テラプロジェクトが実行する形として、10月12日~13日に道頓堀フェスタに参加、みどりのサンタの服装をして船下りを、11月初旬にはGreen Hospitality Osaka の国際シンポジウム開催を計画していることをお伝えになりました。会場は、観光局、吹田万博会場の予定だそうです。資金が集まれば、シンガポール ガーデン バイ ザ ベイからも講師を招くことが出来ます、と代表幹事。また、クリスマスシーズンには、赤いサンタとの共演、11月半ばには大嘗祭がありますので、そこに向けて稲通りを作る計画がある事も伝えられ、12年目の智の木協会は「外」に出て活躍することを目指していきたいと抱負を述べられました。

 

乾杯:小菅 善昭 氏 智の木協会 事務局長

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 創立11年をお祝いして、乾杯しました。創立12年目を迎えるにあたり、これまで恙なく歩んでこられたことに対するお礼と、今後とも変わらないご支援をお願いされました。
(乾杯酒:本麒麟発泡酒

 

講演:大河内基夫氏 智の木協会 理事
(前 地方独立行政法人 大阪府立環境農林水産総合研究所 理事長、キリンビール(株)技術開発部長、白鷹(株)製造部長歴任)

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題目:「ビールとワインと清酒の雑学小話―お酒をおいしく飲むために―」

 「雑学小話」とは、何の役にも立たないが、知っていると面白い、友人とお酒を飲む際の話題になるかも、より楽しい酒席になるのでは、といったところです、と飲める人も飲めない人も聞いて楽しいお話の始まりでした。大河内氏は、キリンビール(株)で培われた専門知識を、また、ビールの本場ドイツで学ばれたことを基に、誰にでも理解できるように3種のアルコールについて平易に解説してくださいました。
 本麒麟発泡酒)について、「ビールのような味でビールのような缶に入っていますが、ビールではありません。発泡酒に1滴でもアルコールを添加すると雑酒になり、酒税が安くなります。また、増量酒とも言われています」と説明されました。よく似たものに“のどごし生”がありますが、こちらは穀物不使用のお酒とか。このようなお酒が生まれたのは、世界的に麦芽がなくなったとしてもビールと同じような健康に良い物を造る、安く造るということが目的だったようです。

 

原料による酒類の分類

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 アルコールは糖類から造るものとデンプンから造るものに分類されるとお話になり、分かりやすく教えていただきました。糖類から造る材料としては、ブドウ、リンゴ、蜂蜜、樹液(ヤシ)、砂糖、馬乳があり、原料そのものに酵母が付着していて自然に発酵するため造りやすく、醸造酒と蒸留酒が造られます。雑学として、ブドウが生産されないヨーロッパ北部では、蜂蜜からお酒を造っていたようで、honey moonの語源について解説していただきました。デンプンから造る材料としては、麦、米、芋、トウモロコシ、穀物、珍しいところではリュウゼツランがありますが、発酵の前に必ず糖化することと酵母を働かせることが必要です、と説明されました。こちらも、醸造酒と蒸留酒が造られます。

 

ワインの歴史

 ブドウは果物の中で最も水分が多いため、皮袋に入れて持ち運んでいるうちに、表面についている酵母の働きにより発酵が始まり、ワインができたと言われています。

 

ワインの発展 1 エジプト

古王国時代(BC 2686-2185)
 北部地域の5銘柄のワインが、墓内の供え物リストに記されていたそうで、ワインは一部のエリート層のための高級品だったようです。

新王国時代(BC 1570-1070)
 ワインを熟成させるとおいしくなることが知られており、ツタンカーメン王の墓のワインの壷には、収穫年が書かれたラベルが付けられていたそうです。

・セッタイト(BC 1680-1180)
 赤いワイン、良いワイン、純粋なワイン、蜂蜜入りワイン、甘いワイン、酸っぱいワイン、新しいワインなどの語彙があります。

 

ワインの発展 2 ギリシャ・ローマ

・ワインをエーゲ海の海洋民族から受け継いだエーゲ文化では、西アジアとは異なり、タンパク質源が羊肉から魚に、脂肪が獣脂からオリーブオイルに変わったことで、ギリシャ人は食べ物に合わせて、ワインを水で割って飲んでいたそうです。
ローマ帝国ギリシャを併合した後、水で割ったワインを飲んでいましたが、甘くないワインができるようになり、割らずに飲むようになったそうです。本来、植民地ではパンの原料の小麦を作ってほしいわけですが、ローマ人は植民地でブドウの生産を進め、畑の取り合いになったそうです。

 

ワインの発展 3 ローマ帝国

キリスト教が、四世紀の終わり頃ローマ帝国の国教になりました。
カトリックのミサの参加者は、種無しパンをキリストの御体、ワインを御血として供食し、遊牧民はブドウの果汁と家畜の血で乾きを癒したとされています。乾きを癒すためのブドウの果汁から生まれたワインを神の血として飲むことは驚くことではなく、ワインはキリスト教と結びついてローマ帝国に広まったそうです。ドイツ、スロバキア等では、ワインを飲む文化が無かったようです。

 

ワインの日本伝来

 日本には1549年、イエズス会宣教師のF.ザビエルにより伝来、最初に赤ワインを飲んだ日本人は、薩摩の守護大名島津隆久と言われています。カトリックのミサは、茶道のお点前に大きな影響を与えたと興味あるお話でした。茶道では、ホスチアがお菓子に、赤ワインは緑の濃茶に代わりましたが、供食儀式としての形は残ったそうです。1974年には、山梨県甲府広庭町の僧侶、山田宥教らが大法院の境内で甲州産や山ブドウを原料にワインを醸造したそうです。
 ワインは身体にいいということで、苦味のブドウ酒から薬用ブドウ酒に、そして甘味のブドウ酒が生まれサントリーのポートワインがたくさん飲まれました。他にも、ペプシネブドウ酒(ペプシン入り)、古加ブドウ酒(コカイン入り)が造られたそうです。

 

ビールの始まり

 BC 10,000年頃、農耕が始まり、レバント地方(東部地中海沿岸地方の歴史的な名称)で非脱落性の大麦が生まれ、洪水などで濡れた麦(発芽した)を乾かし、煎っておかゆを作ると甘かった、食べ忘れたおかゆを食べてみると、気持ちよくなった(アルコールができていた)などの経緯がありました。
 BC 4400~3000年頃、エジプト先王朝時代、既に地域社会のビール生産拠点があったのではないかと思われる醸造址が見つかっていますが、メソポタミアの方でもビールを造っていたそうです。

 

ビールの発展

 BC 3200~3000年頃、メソポタミアウルク後期、9種類のビールが醸造されたことが分かっているそうです。大麦、白、黒、赤、甘いビール、水割りビール、100対50、三分の一ビール。
 そして、メソポタミアに「心地よいものはビール、いやなものは遠征」という格言があることもお話になりました。
 BC 1793年ハンムラビ法典の108~110章には、酒屋女主人の代金回収方法、居酒屋で反逆の謀議が行われた際の通報義務などの文章が残っているそうです。
 BC 約600年、新バビロニアでは、ホップ入りのビールがあったらしいです。

 

古代ビールの伝播

 二つの経路を使ってヨーロッパへ伝播しました。地中海を通ってイベリア半島へ伝わったルートは、ブドウが収穫できるためワインと競合したようです。北の方、ウクライナを通ってドイツの方へ伝わったルートは、ブドウ栽培よりもホップの生産に適した所だったため、ビールが伝播していったとのことです。
 シュメール初期王朝時代の円筒印章を示され、その絵の様子から、当時からビールは皆でわいわい言いながら飲むもの、ワインは形式ばって偉い人が飲むものと読み取れるとの説明でした。

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キリンビール 古代エジプトビール ~古王国時代のビール再現~ 

 キリンビールさんが壁画に描かれていた絵を忠実に再現して、現代に蘇らせることを試みられたビデオを見せていただきました。道具は全てエジプトから取り寄せられました。
 材料は、大麦麦芽、デュラム小麦、干したナツメヤシ、干しブドウです。
 水に漬けておいた干しブドウを壷に入れ、ナツメヤシの実を潰したジュースを加えると、干しブドウについていた野生の酵母がその糖分を食べて増殖するそうです。この酵母を更に増やすために、古代ではパンを活用したとあります。「酵母を乳酸酸性下で増やすということは、日本酒も同じで、パンが醸造と結びついていました」と大河内氏。こうしてできたビールは、炭酸ガスをほとんど含まず、現代のビールのような泡はほとんど立たず、アルコール度数はおよそ10%と高く、乳酸の酸味とほどよい苦みがきいて白ワインのような飲みごたえがあるそうです。
 キリンビールさんは、古王国時代のビールの味を追求するため、古代の小麦、エンマー小麦を植物開発研究所で栽培しておられ、ビールの仕込みに十分なエンマー小麦が収穫できる2004年の春には、さらに当時の味に近いビールが蘇るものと期待されています。
 後に、“古代エジプトビール”は商品化され“やわらか YAWARAKA”の名前で販売されたそうです。

 

米酒の始まり 1 中国 殷期

 BC 1600年頃、中国、殷期、麹櫱は、玄米の穀芽を乾燥して粉末にしたもので、麹(櫱=げつ)にカビを生やさせたもの)が用いられたとされています。メソポタミア麦芽がインドを経由して中国へ、中国で麦芽から稲芽へ、稲芽にカビが生じて麹櫱となりました。

 

米酒の始まり 2 中国から日本へ

 BC 1000年頃、中国春秋戦国時代、周礼(周の官僚制度)には、天官家宰の中に王室の酒需要を満たすために、酒正、酒人、漿人の位が記されているそうです。
 BC 700-500年頃、日本は弥生時代、中国は東周の時代、江南で黄麹菌の米麹で醪酒を醸造していたことが分かっています。「戦乱を避けた江南の人が稲作と酒造りを日本に伝えたと仮定すれば、日本酒に用いられる麹が黄麹菌の米麹であることが説明できます」と大河内氏。

 

米酒の始まり 3 日本での発展

 飛鳥―奈良時代長屋王邸址から発見された木簡に、酒、酒人、酒醸所という語と共に麹があり、米と麹と水の配合が記されているそうです。
 平安時代延喜式(927年)の第40巻造酒司の項に、酒造りの記述があり、櫱と小麦萌が用いられていたそうです。

 

酒類の糖化・発酵方法

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単発酵・・・ブドウ酒、ハチミツ酒、リンゴ酒 

単行複発酵・・・ビール、ウイスキー
        原料中のでんぷん質を糖化してから酵母が発酵を開始する。

並行複発酵・・・清酒、焼酎
        原料のでんぷんを糖化しながら同時に発酵を行う。
        糖分の濃度が一切高くならない。酵母は発酵しやすい。

 

米酒の酒母 BC 1000年頃 中国 春秋戦国時代

 漿人とは、王に供する六種類の飲み物(六飲)を掌り、六飲とは、水、漿(果汁の搾汁)、醴(甘酒)、涼(醴が酢酸発酵したもの)、医(梅酒)、障と記されているそうです。漿は臥漿、穀類を生あるいは蒸煮して清水に漬して乳酸発酵を行わせた上澄みのこと。六飲の中で漿を最初に造り、中国では古くから酒造りで漿が重要である、と言われたそうです。

 

生酛(きもと)の原理

 室町時代、御酒之日記(1450年前後)に、乳酸酸性下で酒母を育成した記録があるそうです。菩提泉(南都菩提山正暦寺で造られていた名酒)の醸造方法として、「白米を笊ご飯と共に浸漬して乳酸発酵を行い、三日目に漿水(乳酸を含む酸性の水)を汲み取る」とあるそうです。
 室町―安土桃山時代、多門院日記(1478年~1618年)でも、米、麹、水を混合して9日から27日間かけて酒母を造っていたそうです。

 

清酒醸造での酛(酒母)の種類

 「生酛系酒母で育った酵母は、アルコール耐性が大きく、そのため、生酛系酒母酵母は、発酵の終盤まで発酵力を維持し、グルコースの少ないお酒が出来上がり、辛口の酒質になります」と大河内氏。更に、発酵が終わっても死滅せず、酵母の菌体内から漏出する成分(アミノ酸など)が少なく、きれいな酒質となるそうです。
 清酒醸造の大敵である野生の酵母を死滅させるのは、亜硝酸イオン、高い糖濃度、低温、乳酸、低PHの5条件だそうです。

 

ビール造りとお酒造りの共通点:乳酸酸性下で酵母を増やすこと。

 

ビール醸造の特徴 ワインと清酒に対して

 1.ホップという香草、薬草を使う。
 2.発酵が終わったら酵母を回収して、繰り返し使う。
 3.清酒、ワインと比べて、糖類と有機酸が少ない。
 4.一般的には、大きな工場で醸造される。

 

ビールに使われた薬草・香草の薬効

 ホップ以外に使われていたハーブとしては、ベイベリー、セージ、ヤロウ、ローズマリー、アニス、ニッケイ、ニガヨモギ、ハッカ、チョウジなどがあるそうです。ビールの原料に薬草やハーブが使用されていたというお話は、非常に興味があります。
 薬草とハーブの配合物はグルートと呼ばれ、グルートの配合は秘密にされ、国王が販売権を独占したそうです。グルートで醸造されたビールは、グルートビールと呼ばれ、グルーとの中でヤチヤナギが主流になってきたそうです(ホップもグルートの一つだった)。

 ヤチヤナギ:(Mirica gale)北ヨーロッパの低温地域(沿岸、河口域)に自生している植物。北海では、イギリス、フランス、オランダ、ノルウェーバルト海では、デンマーク、ドイツ。イギリスは全土、北ヨーロッパの海岸、河口域には今でも普通に自生している植物。葉や実を使って造られている。

 

中世のビールの醸造

  • 5世紀・・・主婦が造っていた。
  • 8世紀・・・銅製の釜による効率化、職業醸造家の出現。
  • 9世紀・・・修道院酵母が入ったままのビールを飲んでいたので体に良かった。修道院は技術革新の中心地だった。
  • 11-12世紀・・・商業醸造の発展。
  • 13-14世紀・・・都市の市民醸造
  • 15世紀・・・修道院と市民醸造所が対立した。

 

ホップビールの隆盛 ホップは、新石器時代からヨーロッパにあった。

 9世紀、ホップの使用が盛んになり、ホップだけのビールが醸造されだしたそうです。13世紀初期~中期になりますと、ヤチヤナギが自生する地域ではグルートビールが造られ、自生地以外ではホップビールが造られたとあります。13世紀後期になりますと、北ドイツでホップビールが醸造され、輸出されました。オランダではグルートビールによる税収の減少を恐れ、ホップビールの製造を禁止しましたので、ホップビールの醸造が遅れたそうです。イギリスではホップを使わないビールをエールと呼び、ホップを使うビールを「ビール」と呼んだそうです。

 

ホップの葉と毬花

 ホップの原産地は中国で、メソポタミアから北へ広がりました。ヨーロッパではハーブとして古い絵に描かれているとか。50~60年前までは手摘みで収穫し、日本では30年前位から機械化されています。ホップには苦みがありますが、ホップの苦みだけは一切毒性が無いそうです。
 ホップはペレット状にして運搬しますが、酸化するため液体CO2で有効成分のみ抽出して缶詰で運ぶそうです。
 「酵母が上に浮かぶ、あるいは下に沈むので、それを回収して再度使います。ワインも清酒酵母をもう1回集めて使うことはせず、この点が大きな違いです」と大河内氏。

 

ビールの器

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 大河内氏こだわりの器を見せていただきました。ヨーロッパ、とくにドイツでは各種こだわりの器があるようです。
 ドイツの居酒屋では、自分専用のクルークを預けていたそうで、クルークの蓋は目印だったそうです。

 

醸造酒と蒸留酒

  ビール、清酒、ワインは醸造酒、身体のためには醸造酒がよいとされていますが、日本ではスピリッツタイプ(蒸留酒)の消費が多いそうです。税金が安いことがその理由とか。

 

スロバキア ワインについて (株)マイティワイン ソムリエ 三好氏

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 マイティワイン様は、智の木協会の企業会員です。イタリア、フランスに比べ、スロバキアワインは日本国内での流通量が少なく、認知度が高い方ではありませんが、ブドウ生産の北限であり、質のよい原料を使用して最先端の設備で造られています。
 (株)マイティ様は、2018年10月にスロバキアワイン専門店Dufam(ワインショップ&ワイン バー)をオープンされましたので、ソムリエ三好氏からスロバキアワインの解説をしていただきました。また、智の木協会会員のみのセールの情報をいただきました。
 本日の試飲ワイン

  • 白:ヴェルトリンスケ ゼレネ(ムルバ スタンコ)・・・さっぱりした白ワインで、国内外で評判が良く、国賓級の人に提供されるワイン。繊細な日本料理に合う、と評されています。
  • 赤:フランコフカ モドラ・・・代表的なスロバキアの赤のブドウで、Dufamにはこのブドウだけで7~8種類のワインがあるそうです。

 

閉会のご挨拶:大塩 裕陸 氏 智の木協会 理事

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 「マイティさんのワインをいただきながら、大河内氏のお酒のお話をお聴きし、大変幸せな気分になりました」また、「お酒は楽しく飲むに限ります。今日の講演には楽しくなるような蘊蓄がたくさん出てきましたので、今後は話題一杯で楽しく飲めると思います」と、いつもながらのにこやかな口調でお話になりました。
 智の木協会につきましては、「元号も変わりましたので、これから新しいステージに向かっていけるのでは」と、今後のご支援をお願いされました。

 

試飲アルコール

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お土産

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「第4回ヘレンドカフェ」(2019年7月27日開催)のご報告

 羽衣国際大学教授 中井久美子先生を講師にお迎えし、「世界の家庭料理とお菓子」のタイトルでお話いただきました。中井先生は、「社団」テラプロジェクトが定期的に開催しております「スイーツマルシェ」のリーダーでもあります。

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 「世界の家庭料理とお菓子」がライフワークでもあります、とおっしゃるくらい大好きな飛行機に乗って、多くの国々を旅して、それぞれの国の料理やスイーツを実際に食されたり写真を撮ったりなさっています。
 今回はその中からウィーンの有名な「ザッハトルテ」から始まり、アジア、ヨーロッパなどなど、あまり聞いたことのない料理までご紹介していただきました。

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 伝統的なスイーツに加え、次々と新しい製品が生み出されていくスイーツの世界、この度のお菓子「桃太郎」は、ケーキ工房フローレンス様作、桃を丸ごと一つ使った贅沢なお菓子です。今や、ネットでも評判で、期間限定商品として定着してきております。
 8月、桃が入手できる間中、販売されるそうです。

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