智の木協会活動報告

智の木協会の活動報告ブログです

第10回 智の木協会ワークショップ レポート

 ・日時:平成28年5月31日(火)
 ・会場:大阪富国生命ビル4階 「社団」テラプロジェクトAゾーン

司会:智の木協会 事務局長 小菅 喜昭 氏

開会のご挨拶:富国生命保険相互会社 不動産部 北林 誠 氏





 富国生命保険相互会社不動産部の北林様からご挨拶をいただきました。富国生命保険相互会社様には、智の木協会設立と同時に企業会員としてご入会いただき、今年で9年目になります。
 先ず、本日ご参集の皆様にご参加のお礼を述べられました。親戚にお茶屋さんがあり、そこでは素人とは異なったお茶の淹れ方で味もおいしいですが、本日はおいしいお茶の淹れ方についても教えていただけるのでは、と期待感を示されました。
 智の木協会の設立趣旨、「植物の持つ多様な機能や植物活用の優位性を認識し、持続可能な美しい環境づくり」「植物や自然の共生を通じた豊かな人格形成の大切さ」等、そこに活動がつながっていくということで、富国生命様として智の木協会の活動を支援しますとあらためて表明してくださいました。
 昨年、智の木協会は「シンボルグリーン東梅田」ということで「フラワーケーキ」の製作に携わるとか、「大阪みどりのサンタ・ラン」で活動を具体化していることを説明されました。「それは会員の皆様の強い絆があってこそ」と話され、智の木協会の理念や提言が広く社会に浸透することを願い、持続可能なよりよい社会づくりに貢献していただきたい、と結ばれました。




智の木協会の説明と座長:智の木協会 代表幹事 小林 昭雄 氏





 本日、小川可楽先生を講師としてお迎えできたことの喜びを率直に語られました。本日のタイトルは「煎茶への誘い―〜〜」さそいではなく、いざないと読む、また、茶房はちゃぼうではなくさぼうと読む、この道は非常に深く、日本人の心ではないかと話されました。そして、我々の心や感性を養ってきたのは、みどり豊かで四季がはっきりしている日本のこの自然ではないかと続けられました。
 代表幹事は学生時代、京都の大学で農産製造学を学ばれました。自然、色、花、匂い、味などの成分を徹底して科学する伝統を継ぐ研究室に属しました。もちろん、お茶の分析もお手のもの。大学で粋な先生の指導を受け、色んなことを学んだその流れの中で智の木協会を設立し、その流れに賛同してくださったのが、可楽先生と家元の後楽先生でしたと話されました。後楽先生には第2回シンポジウムで講演していただいております。
 智の木協会は「智を持った人たちの集まり」であり、智の木の木について次のように説明されました。「木には人が2つ隠されていて、十も人であり、それを支えるのも人ということで、智の木協会設立時に樹も考えましたが、人間は支えあって生きているということが重要なので木にしました。」
 事務局から、今回、可楽先生とお話しさせていただく中で、9月頃小川後楽堂を訪ねさせていただくツアーの計画が出されたことを告げられ、可楽先生にバトンを渡されました。




講演 小川流煎茶家元嗣 小川 可楽 氏
タイトル:「煎茶への誘い―文人と喫茶」 





 「家元の跡継ぎという肩書を持っていますが、緑豊かな北山の麓でお茶の修行を未だしている身分です」「本日は、煎茶の魅力を少しでも分かっていただけたら」と謙虚な口調で講演を始められました。
 「煎茶は、Green Tea で茶葉にお湯を注いでそこから茶液を取り出すものです」と説明されました。一般的に急須や急須に代わる入れ物に結構な量の茶葉を入れ、時間的なゆとりがないためか、現代人は忙しすぎるのか、沸かしたてのお湯を注いでお茶を出し、飲むことが行われていると思います。こんな身近な煎茶ですが、極意を知らずおいしいお茶をいれることができないのが現状です。可楽氏が「この世界を知らない人が多いと思います」と話されるように、知らない人も多いですし知る機会が身近にないとも思います。この度、家庭でもおいしい煎茶を味わうことができるように、人と交流しながら、あるいは交流のツールとして煎茶を用いることができるようになることを願って可楽氏に講演をお願いしました。「煎茶は茶の湯と比較して、昔から戸外でお茶会をしたり喫茶を楽しむ傾向がありました」と述べられましたが、それについては意外と知らない人が多く、知らないことが「敷居が高い」と感じる要因になっているような気がします。
 お茶会が開かれる機会について説明していただきました。京都では三大祭、葵祭祇園祭時代祭がありますが、「葵祭について言えば下鴨神社では祭が1か月間行われ、その後、神様に対してお茶を捧げる献茶という儀式を行います。このような儀式は、近江神宮春日大社などいろいろな神様に対して行います」と可楽氏。これらの後に神様に捧げたお茶を私たちも共に楽しませていただこうということでお茶席を設けることがあり、主催者側は着物を着て作法に法ってその流派のお茶を淹れ、お客様は現在では洋装や立礼(りゅうれい=机と椅子を用いる)といったスタイルでお茶を楽しんでいただくこともあります、と具体的に話していただきました。「お祭りの後に大寄せのお茶会を定期的にやっていますので、ぜひ足を運んでいただきたい」と申されました。
 小川流では普段のお稽古の中で、全国のいろいろな銘茶を集めてお茶の利き茶のようなお茶の産地を当てっこするゲーム、競茶も行い賞味力を挙げていく風雅なあそびがあることを教えてくださいました。小林代表幹事の学生時代の研究室で伝統的に行われている同様の遊びに「茶香服・茶歌舞伎」があります。茶の湯にはない楽しい遊びではないでしょうか。
 小川流ではまた、上等品のお茶を客に差し上げる前に、焙じ器を使って葉を炙り、番茶手前もされています。この番茶とは、私たちが一般的に想像する琥珀色の番茶ではなく、緑茶とほうじ茶の中間くらい、独特な淹れ方をなさっているそうです。番茶は夏は喉の渇きを癒し、冬にも香りと共に楽しむことができます。ほうじ器の下には和紙が張ってあり、焦がさないように少し火をいれるととてもよい香りがたつのだそうです。





 煎茶の道具について説明していただきました。涼炉(りょうろ)というお湯を沸かす道具が凛と立ち、その上に湯瓶(ゆへい)が乗っています。涼炉の中には炭が入っていますが、熱さを感じさせません。湯瓶は急須に似た形で、素焼きの湯沸かしのこと、ボーフラとも言うそうです。茶碗は盃くらいの小ぶりのもので、白磁に文字や絵が描いてあり、風流、風雅なものを好んで使うのが煎茶の特徴だそうです。5客準備されていて、茶葉の上から冷ましたお湯を注ぎ、茶碗に急須から注ぎ分けられます。小川流ではこれを「滴々のお茶」と表現されていて、私たちはお茶は「飲むもの」と意識していますが、流祖小川可進は「喫するものなり」という考え方を示しています。また、「お茶をおいしくいれる」ことが大切なのであり、道具は古くても新しくても、輸入品でも日本製でも良い道具を大切に使いなさいとの教えがあるとのこと、合理的です。
 歴史を紐解きますと、田螺山遺跡(でんらさん)で茶の化石が見つかり、六千年前にお茶があったことが分かっています。そして、中国唐の時代から茶として摂取する文化が生まれたとあります。茶の湯武家社会中心に広まったのに対して、煎茶は唐時代のお茶の聖人、蘆仝(ろどう)や陸羽(りくう)によって起こされ、それまでの食べ物的なお茶ではなく、彼らの精神は文人や志士に好まれていったという経緯があり、貴族社会で好まれたとあります。この二人は茶聖で、陸羽は茶の栽培法、茶道具、茶の淹れ方などを研究して「茶経」にまとめ、私たちがイメージする茶の淹れ方が確立されたそうです。蘆仝は詩人でもありますが、貴重な新茶を孟諫からもらった際にお礼の手紙を書いた一節を説明していただきました。
 ・一碗飲むと、喉の渇きを潤し
 ・二碗飲むと、くよくよしていた気持ちも無くなり
 ・三碗飲むと、体の中に五千巻の経典を得たような、頭がすっきりする気持ちになる
 ・四碗飲むと、毛穴から悪いものが出ていくような
 ・五碗飲むと、肌がつるつるになる
 ・六碗飲むと、魂が仙人のそれに通じる
 ・七碗飲むと、もう飲めません、両脇に清風が吹いてきて、仙人が住んでいる
と言われている蓬莱山へ連れて行ってくれるような、それ位爽やか、かつさっぱりとした気持ちになる、それ位素晴らしいお茶をありがとう





 最初はお礼を述べていた手紙、しかし最後の方は農民が苦労して命をかけて作っていることを理解していますか?といった詰問になっている、蘆仝の民を思う精神性が感じられるそうで、この労りの精神が煎茶の精神につながっているとの解説でした。
画に見る煎茶として、森寛斎(1814〜1924)の鞍馬の天狗が深山で煎茶を楽しんでいる様子、富岡鉄斎(1836〜1924)の自然の中でお茶を楽しんでいる様子、三代 歌川豊国(1786〜1864)の船の上で楽しんでいる様子を示していただきました。「いずれも涼炉と煎茶特有の道具が描かれており、江戸時代から煎茶が嗜まれていたことが分かります」と可楽氏。江戸時代後期、明治時代になりますと、婦女子の教育の一環として使われてきており、野口小蘋(1847〜1917)の美人画の中にも煎茶道具がありました。水野年方(1866〜1908)の『高楼迎客煎茶之図』の中には、部屋の中でお茶会が催されている様子が描かれ、美人図で華やかで女性がたしなむものとの印象を受けます。可楽氏は「しかし、江戸時代は男性の世界のものでした」と話されました。
 蘆仝や陸羽以前の「食べるお茶」について「お茶は具材の一つであったり、スープに入れたりして摂取する仕方が始まりで、現在も各民族の特有のお茶の摂取の仕方が引き継がれており、中国の近隣諸国でも野菜の一種とも言える摂取の仕方がなされています。バター茶、ミルク茶になりますとお茶に近づいてきた感はありますが、現在のお茶とは異なります」と可楽氏。蘆仝や陸羽が飲んでいたお茶は、餅茶・団茶で乾燥しやすいように中心を紐で通し、飲む時は軽く火で炙って柔らかくして「茶研」で荒く砕き、沸いた湯の中に入れ、「茶を煎じる」ことから煎茶と呼ばれていました。
 現在の煎茶は、茶葉に湯を注いでいれる淹茶(えんちゃ)といういれ方になり、岡倉天心がお茶の文化を海外に紹介する際に「茶の本」を出版した、それについて説明していただきました。
 1.煎茶(唐代 平安時代
   The Cake-tea which was boild.
 2.抹茶(宋代 鎌倉時代
   The Powderd-tea which was shipped.
 3.淹茶(明・清代 江戸時代):急須の中に湯を注ぎ、そこからお茶を取り出す。
   The Leaf-tea which was steeped.
 歴史的に煎茶の文字が表れたのは、平安時代嵯峨天皇が近江に行き、梵釈寺に立ち寄った際、お寺の永忠(遣唐僧)が「手自煎茶奉御」、お茶で接待した時だそうです。嵯峨天皇奈良時代からの古い慣習に決別し、中国をモデルにして自分らしい都つくりをしたいと思い、遣唐僧を送りました。お茶が非常に気に入り、それまで宴ではお酒が付きものだったのに対して平安前期ではお茶でコミュニケーションをし、漢詩を詠みましたが、平安時代後期になりますと嵯峨天皇空海も死去、貴族社会にも陰りが見えてきて、宴会といえば現在のようにお酒でという風潮になり、煎茶文化も忘れ去られてきました。
 宋代の皇帝は前の皇帝が煎茶を尊んでいたことが気にいらず、煎茶にかわって抹茶を飲むようになりました。同じころ日本では、栄西明恵に友好の証としてお茶の種を送ったそうです。辛い修行をしていると眠くなりますが、そんな時お茶を飲むと頭がすっきりしますので、お茶は目覚まし草と言われていたとか。明恵はお茶の苗を京都栂尾(とがのお)に植えたところ、そのお茶が非常においしかったことから、栂尾のお茶が本茶であり、それ以外はお茶ではないと言われるくらい有名なお茶になり、民衆が栽培方法を明恵に請うたところ、「馬に乗り、そのひずめの跡に種を蒔きなさい」と教えたそうです。この栽培方法が後に宇治に伝わり、宇治の銘茶の始まりになったとのことです。
 中国、明朝の元璋皇帝は、抹茶にして納める方法は農民に苦労がかかるからと、前の皇帝とは異なるやり方に変更し抹茶を廃止し葉茶での貢茶にしました。この頃から淹茶方式に変わり、淹茶の飲み方を日本に紹介した人が万福寺に来た隠元(1592〜1673)と言われています。万福寺と言えば、普茶料理ですが、精進料理を淹茶と共に広めたそうです。隠元を庇護したのが後水尾法王で、後に修学院離宮建立を命じた人です。後水尾法王は、修学院離宮に煎茶のかまどを造らせましたが炉を切らず、抹茶の茶室は造らせていません。後々、修学院離宮明治維新の原点と言われているそうです。茶の湯は、当時、武家社会、徳川幕府側の教養であり、朝廷側は平安時代嵯峨天皇が好んでいた煎茶を尊び、煎茶は勤皇派の思想の原点になったようです。後水尾法王の息子、堯恕(ぎょうじょ)法親王(ほっしんのう)は“一生薄茶もまいらせず、煎茶のみなり”と
幕府に対する嫌味を表したとあります(「槐記」)。





 江戸時代になり、煎茶中興の祖として売茶翁が現れた様子を話していただきました。京都の観光名所でお茶の振り売りを行い、値段を決めずただ飲みでもいいような売り方をしたため、京都の風雅な人、文人から注目されるようになったそうです。売茶翁はもと僧侶だったとか、目的は当時腐敗・堕落・衰退の一途をたどっていた禅僧社会に対して警鐘を鳴らすことで、当時は茶の湯イコール禅という考え方があったため、批判は「茶禅一味」を説く茶道そのものに向けられ、その考え方に対して決別の意味がありました。蘆仝の生き方によせる強い共感がありました、と可楽氏。振り売りすることによって多くの人が集まり、その人たちに自分の考え方を説いていった、要するに煎茶を上手に使ったのです。売茶翁は当時の京都の文人からすると憧れや敬意の的であったようで、多くの人たちが肖像画を描いています。
 「夏目漱石もまた、売茶翁のファンであったことがその足跡を辿ると分かります」と可楽氏は漱石下鴨神社を訪れた際に詠んだ歌を示して説明してくださいました。
 “春寒く 社頭に鶴を 夢みけり” 売茶翁は、下鴨神社の糺(ただす)の森で一服一煎という形でお茶の振り売りをしていましたので、漱石糺の森に来ることが憧れだったそうで、夜やって来て売茶翁を偲んでこの句を詠んだとのことでした。
 その後、喫茶精神は上田秋成(1734〜1804)に受け継がれ、幕末には頼山陽などの勤皇派に好まれて行き、茶の湯対煎茶という図式ができ上ったと話されました。
 日米修好通商条約締結の裏で、ハリスと下田奉行井上清直が難しい交渉をした際に、井上はハリスをお茶席に誘い、手自ら一煎差し上げたそうです。幕府は茶の湯を嗜むことが教養でしたのに、井上は煎茶で接待したのです。高い身分の信濃守(井上)自らお茶を淹れてくれたということは、友好の証であり最上のコミュニケーションであるとハリスは感じとり、困難な交渉が前に進んだということです。「これは、煎茶による高度な非言語コミュニケーションが成立したとも言えます」と可楽氏。人がコミュニケーションをとる上では、言語によるコミュニケーションの方が重要視されると思われますが、心理統計学では非言語コミュニケーションの方が重要だという結果が出ていて、その割合が85〜95%という高い数値になっており、言葉が意味する内容は15%から僅か5%程度しか重要視されていないということになります、と可楽氏はご自身の研究テーマに繋げて話してくださいました。また、「お点前をするということはおいしいお茶を淹れてあげるということで、ハリスは自分のために信濃守がお茶を淹れてくれる動作そのものが高度なコミュニケーションであり、最上のおもてなしということを感じとったと思われます。非言語コミュニケーションは、現実には味覚ということで、お茶の味が非常に効果があったのではないかと考えています」と結ばれました。
 小川流の煎茶は「雀の涙」と評されていますが、奥の深い「甘い」お茶の味は、一度喫した人を虜にしてしまいます。


 講演終了後、スライドの「丸亀のお茶について」に質問が出ましたので、引き続き説明していただきました。
 幕末、大名が大名庭園として管理していた中津万象園 観潮楼が丸亀にありましたが、ここには煎茶用の茶室を造っていたそうです。大名が造るお茶室のほとんどは抹茶用だったこの時代にです。一般的に大名庭園は庶民に開放されていなかったにも関わらず、ここはかなり開放的だったようです。近年になってここは現存する最古の」「煎茶席」ということが学術的に分かってきたそうです。


座長:まとめとして「全てが印象的で、五感で感じるものなのだと、そのためにも我々は五感を研ぎ澄まさなければならないと思いました。握手よりも感じるものを大事にする日本人の心というものを再確認させていただきました」と結ばれました。




閉会のご挨拶 智の木協会 理事 大塩 裕陸 氏

 お茶が大好きとおっしゃる大塩理事、しかし煎茶道の中身については全く知りませんので、大変良い勉強になりましたと話されました。可楽氏の姿勢のよさ、素晴らしい立ち振る舞い、動作がやさしい、全て伝統を受け継いで発展させておられる日々の精進が身体に表れている、まさに非言語コミュニケーションそのものと感じました、と述べられ閉会のご挨拶とされました。










 閉会後は交流会が開催されました。

智の木協会 「毎日を明るく前向きに生きる」ための講習会 レポート

講習会 〜メイクレッスン〜 のご報告
・日時:平成28年8月23日(火) 午後4時〜6時
・会場:富国生命ビル4階 智の木協会ラウンジ


 毎日を明るく前向きに生活する上で、女性にとってメイクは欠かせない要因の一つです。
 講師に智の木協会会員の吉田富士江さんをお招きし、メイクの基本からそれぞれの方の職業に相応しいメイクまで、個別に指導していただきました。吉田さんは本業とは別に“笑顔のナビゲーター 福(ふく)笑(わ)楽(ら)美(び)”の名刺も持っておられます。






《基本》
洗顔料を少なくし、温めの水ですすぐ。どんな場合でもごしごしこすらない。
《ポイント》
・崩したくない時、クリームタイプのファンデーションを使用する場合、乳液はつけない。
・鼻の皮脂対策:顔の他の部分と比べて、クレンジングの際に丁寧によくこする。10日は続ける。
・仕上げに「粉」を使う。
「置く」→「たたきこむ」→「滑らせる」→「手アイロン」
 *手アイロンとは、手を温めてアイロンをかけるように肌をそっと押さえること。





















個々にご指導いただき、皆さん、明日への活力になったことと思います。ご助言は他にもたくさんあります。機会ある毎にお伝えしていきます。
吉田さん、ありがとうございました。

智の木協会 創立記念講演会(8周年記念)レポート

創立記念講演会のご報告
・日時:平成28年5月7日(土) 午後4時〜7時
・会場:富国生命ビル4階 「社団」テラプロジェクト Aゾーン


〔智の木協会の活動報告〕
 初めて参加された方々のために、智の木協会の活動について小林代表幹事より説明がありました。



〔講演〕

 日本一明るい経済新聞編集長 竹原信夫氏に「元気な企業の舞台裏」と題してご講演いただきました。
 取材を通して得ておられる経営者の方々の“とっておき”のお話を、軽妙な語り口で披露していただき、参加者一同引きこまれていきました。元気な企業に共通していることは「あいうえお」ですと大変分かり易くお話いただきました。
 「あいうえお」のご紹介です。


:明るい社長。
:意志が強い。
:運がいいと思い込む。
:縁を大切に。
:大きな夢を持つこと。



 「あいうえお」は、企業、家庭、仲間、どんなところでも共通の事柄です。これからは「あいうえお」を念頭において行動してみましょう。


以上

智の木協会第8回シンポジウムレポート

平成27年12月4日(金)17時30分〜18時30分
・於:大阪富国生命ビル4階 (一社)テラプロジェクト Aゾーン

司会:智の木協会 事務局長 小菅喜昭氏



開会のご挨拶:智の木協会 特別顧問 平井堅治氏
 参加のお礼を述べられた後、ちょうどフランスでCOP21が開催中でもあり、そのことに触れられながら「しかし、それだけでは難しく、植物とか自然の力を借りて補助していくことが必要だと考えます。まさに、これは智の木協会の趣旨そのものです」と話されました。
また、鳩山内閣が「グリーン・イノベーションによる環境エネルギー大国戦略」を閣議決定する4年も前に、小林先生は愛知万博で「植物の潜在能力の活用により、低酸素社会の実現や野外の心地よさを日々の生活に導入することによって、快適な生活圏を作り生活に潤いをもたせることの重要性」について講演されたと説明されました。
そして「温室効果ガスの排出の削減と植物の力・自然の力を活用して、これを両輪とすることにより初めて地球温暖化を防止することができるのではないかと考えていますし、今こそ、智の木協会から日本であるいは世界に情報発信していく時ではないかなと考えています」と結ばれました。


講演:西田律夫氏 京都大学名誉教授



座長:智の木協会 代表幹事 小林昭雄氏
 講師の西田先生について次のように紹介されました。「長年、智の木協会で講演をお願いしたいなと思っていましたが、4月に学会でお会いし、本日の講演会が実現しました。先生は昆虫がお好きで、先生が22歳、私が27歳の時に西表島で出会いました。私は植物採集、先生はきれいなチョウチョを追い求めておられたという印象でした。」
 「智の木協会は木を守りみどりの環境を保つという趣旨で活動しておりますが、それを食う虫がいるということで『実のなる木を害虫から守る』という観点からお話していただきます」とバトンを西田先生に渡されました。



講演
 西田先生からご講演タイトルをいただいた際には、ミカンコミバエの名前は初めて目にした虫で、ネットでも調べましたが実感が無く、漠然と12月4日、講演当日を迎えました。しかし、ご講演の最後に奄美大島でミカンコミバエが発見されたというお話がありました。そして、12月15日朝のニュースで「〜〜蔓延防止のため、ポンカンの島外持ち出し禁止、廃棄処分を始めた」と報じました。国内で一度は根絶したミカンコミバエでしたが、奄美大島で幼虫が見つかったということで、あらためて果樹の害虫の大変さを知ると共に、タイムリーなご講演だったと思いました。
 昆虫少年だった先生が学問として果樹と昆虫との関係、農薬使用の軽減を目指す、ひいては地球全体の環境に配慮した果樹栽培に繫がる研究を進めてこられた過程と結果についての分かりやすいお話、また、チョウチョの美しい映像に参加者は引き込まれていきました。
 まず、青森県弘前市のリンゴ畑での体験から、農家の人達は開花から収穫まで、日夜害虫、鳥害、病気の防除等世話が大変なことを実感、また、近くに放置農園があり、そこで駆除・防除等無しでは収穫がほとんど出来ない悲惨な状態になることを目の当たりにされました。
 梨、りんご、桃などの果実の中に食い入るナシヒメシンクイについて説明していただきました。ナシヒメシンクイは果実が大きくなると殺虫剤が浸透せず、どんどん食害していく大害虫です。成虫の蛾は7〜8ミリ位で非常に小さいですが、一匹でも入ると商品価値が無くなり、腐って落ちてしまい被害は大きいそうです。
 西田先生は、この蛾の配偶行動、求愛行動を観察されました。雌と雄が出会うのは、匂いでお互いに交信、つまりフェロモンを体内から体外へ放出し同種の個体を呼んでいるのだそうです。先生は、フェロモンの構造を突き止めていき、それを実際に害虫の防除に役立てられるかどうかという研究をしてこられました。   
 性フェロモンは一般に雌が分泌し、それぞれ蛾の種類によって出す物質が異なり、それを感じて雄の蛾が間違えることなく自分のパートナーの雌を見つけ出すことが出来るのですが、ナシヒメシンクイの場合は雌を見つけるとオスもフェロモンを出すのだそうです。
蛾の行動が分かると、フェロモンを別の原料から多量に合成することができ、それを農業に役立てる研究が進んできました。
 梨畑にフェロモントラップ(フェロモン1〜2mg)をぶら下げてフェロモンによる害虫の発生調査を実施されたところ、一晩でたくさんの雄の蛾が飛び込んできたそうです。人の目では確認できていなくても、害虫はそこかしこに潜んでいるもののようです。雄がトラップされたということは、その果樹園付近に雌も相当数いるはずです。このような捕獲がピークを迎えた数日後には産卵が始まります。蛾の場合は1匹が数百個の卵を産みますので、「フェロモンに集まってくる時期を知ることにより発生のタイミングを知ることができます」と西田先生。色々な種類の蛾、それぞれの蛾がそれぞれ異なる構造のフェロモンを雌が発散し、雄が間違えることなく自分のパートナーを見つけ出すということにより、フェロモンによる害虫の大量誘殺が可能であり、これまで使用されてきているそうです。
 フェロモンによる害虫防除法には、発生予知(Monitoring)、大量誘殺(Mass trapping)、
交信撹乱(Mating disruption)の3種類がありますが、世界中で使われている大量誘殺の方法でさえ、全部を殺すことは難しく、最近世界で脚光を浴びている方法、交信撹乱について説明していただきました。ごく微量で雄は誘引されるため、細いチューブに合成したフェロモンを封入し、果樹数本に1本の割合でぶら下げると果樹園全体にフェロモンが充満し、雄は匂いを嗅いでいますから興奮して雌を探し回り撹乱が起こってしまいます。この方法は、広大な土地での利用が有効で、殺虫剤との併用でかなりの効果があり、ヨーロッパやオーストラリア等の果樹園で使われているそうです。信越化学がコンフューザーNという交信撹乱剤を生産・販売しており、この中には複数の蛾のフェロモンを混合して入れてあり、それぞれ発生の時期が異なっても防除できるそうです。殺虫剤散布回数を減らすことができ、環境負荷が少ないということで総合防除という形で使われてきています。





          アゲハチョウ.ミカン葉に産卵


 次に、チョウの超能力について、説明していただきました。アゲハチョウはミカン科の植物に、キアゲハはセリ科の植物に、アオスジアゲハはクスノキに産卵します。サンショウの葉が丸裸になってしまった経験をお持ちの方、また、パセリの収穫の際に横縞模様の幼虫にびっくりされた方も多いと思います。
先生は、アゲハチョウがたくさんの植物の中からミカン科の植物を、他の害虫も特定の植物を目ざとく見つけることに興味を持たれ、また、その能力の解明がなされていなかったことから、卒論のテーマとして研究されました。アゲハチョウは葉に触れると前足でトントンと叩き、雌の前足は歯ブラシのようになっており雄にはないことから、そこで何かを感じているのではないか、と的を絞って進められました。「その実験にはマニキュアを塗りました」とのお話に、参加者達に笑みがこぼれました。その頃、「モンシロチョウはキャベツの葉を前足で感じる」という論文が発表され、前足にレセプターがあることが分かり、遺伝子をブロックすることによって産卵を阻止することができる可能性が出てきました。
ミカン科植物の葉には数百種類の化合物がある中、10種類がエッセンスで必要だということが分かり、その10種類にアゲハチョウは反応するそうです。色紙の模型にその物質を塗布すると、アゲハチョウは産卵するのですが、「野外では1匹も来ないことから、匂いやしなやかさ、艶やかさなども重要だということが分かっています」と西田先生。これらの研究は、まだ応用には至っていませんが、害虫のウイークポイントが分かってくれば防除手段を見つけ出せるのではないか、と研究を続けておられます。
 ミカン農家の方々からするとアゲハチョウなんて可愛らしいもの、ミカン科の害虫数ある中で本当に怖いのはミカンコミバエで、先生のもう一つの研究になっています。トロピカルフルーツの大害虫で、「40年前小林先生と沖縄で出会った頃には、ミカンコミバエがウジャウジャいて、マンゴーもミカンも絶対育てられない状況でした」と、当時の様子を説明されました。その防除方法では、誘引物質メチルオイゲノールに雄がやって来て舐めますので殺虫剤を入れておくと死にます。メチルオイゲノールと少量の殺虫剤をダンボールに染み込ませ、ヘリコプターからばら撒くと効果的で、沖縄では雄特異的誘引剤を用いた大量誘殺によるミカンコミバエの根絶事業(1972〜1986)により、根絶されたはずでした(が、奄美大島で発生)。





             講演会の様子


 マレーシアやフィリピンで研究の続きをされたところ、メチルオイゲノールを発散している植物は多くあり、そこへミバエがやって来てその植物の受粉を手伝い、逆にミバエは貰った香りを蓄えて雌を誘惑する性フェロモンとして利用する、いわゆる虫側と花側とが共進化しているそうです。実際に舐めていくと背中に花粉の詰まった袋(花粉塊)が付き、ミバエは別の花に運んで花粉が授受されるという仕組みになっているとか。ミバエランでは、ミカンコミバエが花の中心にある可動式の唇弁部を舐めた途端にミバエの重みで倒れ込み、その際に雄しべに受粉するそうです。その成分はZingeroneという生姜の成分で、全く新しい誘引物質で、オーストラリアのマンゴーのミバエの防除に利用できないかと目下研究がなされています。
 今後も生態系情報化学物質で植物を守る見地から、害虫駆除のヒントがまだまだあるはずと、現場からヒントを得て研究を続けていきたいと話されました。「これまでの方法は、有効に使えば問題はありませんが、タイやマレーシアでは本来ミカンコミバエと仲良くしている植物があり、この虫を駆除してしまったらミバエランは滅びてしまう可能性があり、やっつければよいという訳ではありません」「農業生態系と自然とのせめぎ合い、これをどのように解決していけばよいかにも配慮しながら進めていきたい」と結ばれました。




質疑応答
Q:生物農薬、いわゆる天敵について。
A:本来土着のものをアタックするなどの問題が出てきているようで、一概に評価がプラスだけとはいかないようだ、と聞いたことがあります。一つ一つ慎重にしなければいけないということです。
Q:チョウチョの色はきれいですが、あれを抽出しても色は出ないですね?
A:チョウチョは何度か抽出しましたが、あの色だけは抜けないですね。でも、その中の特に目立つ色のカロチノイドだけはスポッと抜けます。
Q:信越化学が売りだしているコンフューザーN、他にこのような撹乱剤を作っている会社は?
A:中国はこれから頑張る可能性があります。ヨーロッパ、アメリカにもあるとは思いますが、信越化学はかなり安全なものを作っています。
Q:毒を持つ蛾も、食べているものを身体に蓄積するということを聞いたことがありますが・・・
A:実はチョウチョを追いかけた原因はそちらで、沖縄へ行くと毒チョウがたくさんいて、その成分は食草から蓄えていました。未だにチョウチョを追いかけている理由です。





事業報告:智の木協会 代表幹事 小林昭雄氏
 智の木協会のこの1年間(第7期)の活動について報告されました。
・自主事業:
 第8回ワークショップ(平成26年11月、岩本将稔氏、柿渋の話)、第9回ワークショップ(平成27年2月、大阪芸術大学教授 池田光惠氏、錦影絵、お話とデモンストレーション、大阪国際サイエンスクラブと共催)、新年交流会(平成27年1月、日根野文三氏、「数値を実感しよう」)、第17回イーヴニングトーク(10月、信州大学名誉教授 廣田満氏「信州、キノコの森を語る」)、創立記念講演会(5月、京都大学教授 平井伸博氏「花粉はなぜ光る」。
グリーンツーリズム
 京町家見学と扇子絵付け体験、京風お弁当を楽しむ一日(6月。扇子のお披露目会、8月)、柿渋工場見学会(9月)。
・後援事業:
(1)平成26年11月19日、「都市未利用空間活用で“みどりの風”を感じる大阪つくりシンポジウム」
(2)平成27年7月4日、シンボルグリーン東梅田を起点とした大阪みどりの風つくり
・花壇「フラワーケーキ」完成記念式典
 富国生命保険相互会社、平井常務様にもご臨席いただきました。
・シンポジウム
(3)平成27年11月7日、いのちの森のパンバザール
当日の様子がテレビニュースで報道されました。
また、パンノキの粉を使って日本人が作ったレシピが、現地サモアで新聞ニュースとして取り上げられました。
非常に大きな関心を持っていただきました。
「Go Greening!」植育(育てる喜び、収穫する喜び、分かち合う喜び、食する喜び)という言葉を智の木協会から発信しています。これを国際語にしたい!
(4)平成27年11月29日、大阪みどりのサンタ・ラン参加
 大阪あかるクラブ創設者やしきたかじんさんの遺志に「みどり化」があり、みどりのサンタ・ランとして参加のチャンスをいただきました。クリスマスツリーを作ろう!ということで、人工のツリーを、智頭町、小国町、四万十町から杉・檜の枝を寄付していただき、網に枝を差し込んで5m高のツリー、他に2本、合計3本のツリーを作りました。ツリーには、願いごとを書いてぶら下げていただきました。
 今後の抱負について、“みどり化”に相当する英語がありませんので、「智の木協会の植育と共に、“みどり”を国際語にしたい」また、「智の木協会の活動が市民にまで浸透するよう、事務局として更なる努力をしてまいります」と決意を示されました。



閉会のご挨拶:智の木協会 副理事長 黒田錦吾氏
 先ず、ご参加のお礼を述べられました。次に、ご子息が中学生になられた時にレモンの木を植えられ、良く育って長い間レモンを100くらい収穫されたそうですが、ある時突如として枯れたこと、また、ビワが実って収穫段階に入った頃に鴉にやられてしまったこと等、実のなる木を育てることの難しさを披露されました。そして、「フェロモンのお話を聞いて、これからは防除の仕方が私共の課題では」と話されました。
 次に智の木協会の活動について、「シンポジウム、ワークショップ、イーヴニングトーク等、非常に勉強になる話ですので、参画することが楽しみです」「富国生命保険相互会社の平井様からお話がありましたが、フランスで行われているCOP21という国家間の約束もさることながら、草の根として、会を通じてもっと植物に関心を持ってこの輪を広げていくことが大事ではないでしょうか」と結ばれました。


交流会



                        交流会の様子

大阪国際サイエンスクラブと共催 第10回グリーンツーリズム「日本で唯一の大工道具の博物館『竹中大工道具館』見学会」レポート

 平成27年12月8日(火)、大阪国際サイエンスクラブ様と共催で「竹中大工道具館」見学会を実施しました。智の木協会は、樹木・材木はもとより、建築、建築に関連する名工や歴史に名を残す宮大工の方々の「仕事振り」にも大いに関心を持っています。
 「竹中大工道具館」は、1984年神戸市中山手に開館、その後、2014年10月より竹中工務店本社跡地に新築・移転されたそうです。新神戸駅近く、少し坂を上っていったところに大工道具館のイメージとは程遠い、古式ゆかしい和風レストランの趣のある建物がありました。木の匂いが漂い、博物館そのものに匠の技の数々を感じとることができました。 

 参加者は、学芸員の方のご案内で地下に下りました。いきなり目の前に現われた大柱。それは、原寸大の唐招提寺金堂の柱でした。参加者は触ってその感触を確かめたり天井を見上げたりして、その仕事の偉大さに感嘆の声をあげていました。
 茶室のところでは、土壁を塗る前の状態を細かく見ることができました。確かに私が子どもの頃は、壁と言えば竹を紐で組み、その上に土を塗る方法でした。

 最近では、鋸、鑿(のみ)、カンナ、金槌、鉞(まさかり)などの道具を一通り備えている家庭は少ないと思います。備えてあったとしても、それぞれ一つずつといったところでしょう。大工という専門家が日本の木造建築を支えてきたその道具は、それぞれの用途・目的に合わせて開発された道具であり、大小様々、とても数えきれないほどでした。
 鋸一つとっても、縦挽き、横挽きがあります。歯のつけ方が異なり、目的に合わせた道具を使用すれば仕事がはかどります。カンナは、刃の出し方一つで木の削れ方が左右されます。

 切ったり割ったり挽いたりの世界で、より効率的に仕事が進むよう名工によって生み出された数々の道具の中で、唯一「墨壺」にはおしゃれな形のものが多く見られました。それぞれの持ち主によって細工が施されており、そこには大工さん達の遊び心が見て取れました。墨壺を通った糸をピンと張ると、真っ直ぐな線が板の上に引かれていた様子を思い出します。

 資料によりますと、昭和18年に東京都大田区で行われた調査では、本格的な建物をつくるのに必要な大工道具(標準編成第一形式)は179点、どんな安普請でも最低限必要な道具(第二形式)は72点であったそうです。大工道具の標準編成の展示を目の当たりにして、現存していることに先ず感動し、その美しさに参加者一同唸りました。名人(大工の)は名工の道具を選ぶ目を有しており、また、名工は名人が必要としている道具を作り上げていくことに魂を注いできた過程を学びとることができました。
 次に神社・仏閣を訪れた際には、これまでは気が付かなかったところにも目が向くことと思います。
 本見学会を実施するに当たりご尽力いただきました大阪国際サイエンスクラブ様、竹中大工道具館関係者の皆様、ありがとうございました。

智の木協会 新年交流会 レポート

 ・日時:平成28年1月23日(土)午後3時30分〜5時。
 ・会場:富国生命ビル4階 (一社)テラプロジェクト Aゾーン





 副理事長 黒田錦吾氏より、新年のご挨拶をいただきました。
新年につき、乾杯しました。








 
 乾杯の音頭は、智の木協会企業正会員 富国生命保険相互会社課長 北林誠様にお願いしました。











 続いて、代表幹事 小林昭雄氏より、智の木協会後援の(一社)テラプロジェクトの事業「いのちの森のパンバザール」(平成27年11月7日実施)、「大阪みどりのサンタ・ラン」(平成27年11月29日実施)及び今後の展開などについて報告がありました。
 また、講師の岡澤敦司氏についてご紹介いただきました。小林氏は、大阪大学時代に岡澤氏を指導しておられました。








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 大阪府立大学大学院 生命環境科学研究科 応用生命科学専攻 准教授 岡澤敦司氏に「ノーベル平和賞級?猛威をふるう寄生植物による被害の克服を目指して」のタイトルでご講演いただきました。
 日本で寄生植物と言えば、先ずナンバンギセルネナシカズラ、そして半寄生植物(光合成もするため)のヤドリギくらいでしょうか。食物を荒廃させるほどの被害も無く、差し迫った状況ではありません。今回はアフリカのスーダンソルガム(モロコシ)に寄生するストライガについてお話していただきました。
          
     
 ストライガの写真を岡澤先生から送っていただいた時、紫色の花のあまりの美しさに驚きました。参加者の中から「切花にしたらどうか」という声が聞こえたくらいです。その美しさから「魔女の雑草」と呼ばれているそうです。一たびストライガの種が畑に落ちますと、土の中で10年以上寄生する能力を持ち続け、宿主の根が近づいて来るのを待っているという恐ろしい雑草です。日本国内では今のところ確認されていないそうです。乾燥地帯で猛威をふるい、食糧の生産量低下を招いているストライガ撲滅の研究に期待したいと思います。
             
 最近、マメ科に寄生するヤセウツボ(オロバンギ)が国内で自生しているそうですので、外来種には注意を払いたいものです。
             

第17回智の木イーヴニングトークのご報告

 信州大学名誉教授 廣田満氏に「信州―きのこの森を語る」と題してご講演いただきました。

 信州の森はきのこの宝庫。廣田氏は、学生の皆さんと多種多様のきのこを採取し、その中に含まれる化学物質を抽出、私達の健康保持に役立つ生理活性物質を見出す研究を行ってこられました。

 ケロウジ(イボタケ科コウタケ属)は、マツタケ同様の菌糸菌で、マツタケの「シロ」を排除して縮小させ、自分の「シロ」を形成し、どんどん増えるそうです。このケロウジから、炎症抑制物質を単離され、それが抗がん活性を示すことを発見されました。

 
 きのこは美味しく食するだけでなく、医療の分野でも有用であることを教えていただきました。
 また、毒きのこについて、森のきのこを食する際には、素人判断は禁物とのお話をされました。