智の木協会活動報告

智の木協会の活動報告ブログです

智の木協会 第7回シンポジウム レポート

智の木協会創立5周年記念特別シンポジウム レポート

平成26年7月16日(水)17時00分〜19時00分

於:大阪富国生命ビル4階 【社団】テラプロジェクト Aゾーン

             司会:智の木協会 理事 大塩裕陸氏


開会のご挨拶:智の木協会 特別顧問 平井堅治氏

 この度より、智の木協会特別顧問山本幹男氏が名誉顧問に就任され、平井堅治氏に特別顧問として智の木協会をご支援いただくことになりました。
 特別顧問として初のご挨拶で、参加のお礼、智の木協会設立の経緯、設立6年目を迎えた智の木協会について「企業、個人のレベルで知恵を持った方々にお集まりいただき、関西を、日本を活性化し、今直面しています高齢化問題など複合化する社会に対峙し解決策を導くために皆様から多様な知恵を授かる組織です」と述べられました。そして、「皆様の夢や要望をプロジェクトに仕立ててもらう仕組みとしての機能を叶えるために、4階の産学連携支援施設の運用をお願いしておりますテラプロジェクトさんに協力を願い、植・食、健康に関する事業展開につきまして幾つかの提案をしてきております」「具体的な企画を企業の方々と進めていく中で、智の木協会はみどりとエモーションを基調とするアカデミックな社交場へと進化してきております」と説明されました。
 平井氏はまた、「富国生命保険相互会社としましても、豊かな長寿社会形成実現に向けて、このビルを21世紀の新たなライフスタイルを情報発信する、都市を1本の木としてイメージいただけるよう位置づけております。また、微力ながらこの地域の災害時の緊急避難ビルの第一号として、低層階を提供させていただいております」と、地域における社会貢献と役割を明言されました。
 本日は昨年の5周年記念シンポジウム後、初の記念すべきシンポジウムで、講師に両備ホールディングス株式会社代表取締役会長の小嶋様をお迎えし、節目の第一歩を踏み出すことの喜びを話されました。「小嶋様は中国地方のみならず、各面でことつくりにアイディアを出され、特に和歌山電鐡の再建はあまりにも有名であり、国内はもとより海外のメディアでも取り上げられております」と詳しくご紹介いただきました。


講演:小嶋光信氏 両備ホールディングス株式会社 代表取締役会長兼CEO

座長:智の木協会 代表幹事 小林昭雄氏

 ご多忙なスケジュールの中、講師をお引き受けいただいたことへのお礼を述べられました。講師の小島光信氏について、両備ホールディングスの50を超える事業体の総責任者で、多岐にわたるお仕事に創意工夫を常に取り入れながら企業発展を進めておられる企業家であると同時に、アカデミアの関係でも活躍されていることをご紹介いただきました。岡山大学の理事として大学の発展に企業を代表してアドバイスされ、開かれた大学作りに活躍なさったことを説明されました。
2008年に、小嶋氏は智の木協会副理事長黒田錦吾氏と共に阪大をお訪ねくださり、その際に代表幹事が智の木協会の概要をお話したところ「面白い!」とおっしゃってくださったそうです。「それを心の支えとして智の木協会を設立しました」と小林氏。〔社団〕テラプロジェクト(小林昭雄理事長)は、日本に全くない組織であり、その運用に関して小嶋氏の知恵を授かりたいと、ご多忙の中、岡山で度々面談させていただいているそうです。
 特別顧問の平井氏も岡山ご出身、「ご縁を感じます。これをご縁に智の木協会発展のためにお知恵を授かりたい」と講演への期待感を示されました。


講演
 小林代表幹事との最初の接点は「植物工場」という キーワードだったそうです。小嶋氏が岡大の理事時代、経済産業省から岡山大学で植物工場をやってほしいという話がありましたが、当時の岡大ではハウスがあれば十分という雰囲気の中、小林氏のみが前向きだったそうです。

 本日の講演について「地域づくりにおけるベース的な考え方、なぜたまちゃんが生まれたのか、なぜ私が地域の倒れた公共交通を再生する、誰もやりたくない仕事をやっているのかなど、地域づくりの話をします」と切り出されました。
 両備ホールディングス(株)の前身は岡山西大寺から後楽園まで走っていた西大寺鐵道(株)であり、企業には運輸・観光関連部門、情報関連部門、生活関連部門の三つのコアがあり、社員数約8,500人、平成22年に100周年を迎えた岡山では中枢の企業です。小嶋氏は「鉄道、バス、フェリー、空輸の一部、観光も含めて旧運輸省のやっていることはほとんどやっている学会みたいな会社ですが、他の私鉄グループとの違いは情報関連部門(両備システムという会社)があること、しかも西日本で一番広い地域をカバーしているソフト会社です」と説明されまた。
 昭和40年代電子計算機と言われた時代に、欧米に負けない電子計算機を作ろうと、現代のスマホよりレベルは低いものの、それを西日本で最初に入れ、医師関連の会計ソフトは全国で4番目くらいだそうです。行政関係、受託事業などは、全国の草分けだとか。偏差値と言う言葉を最初に作ったのは両備さんであり、そのソフトを無料で福武書店(現ベネッセ)に譲ってしまわれたそうです。
 両備さんは「忠怒(ちゅうじょ)」(論語)“まごころからの思いやり”という言葉を会社の根幹として展開されています。「日本の企業は欧米と異なり、いわゆる社会資本によって裏打ちされていることにより経営が成り立っていますし、資本だけでなく、仕事を頑張ってくれる社員達がいて、お客様が我々を信頼してくださり、社会全体仕事ができる仕組みがあるからこそ企業が存在します」と、小嶋氏はこれまで耳にしたことが無かった理論を展開されました。

 両備グループさんは、三つの経営方針を打ち出しておられます。まず、“社会正義”。安全な社会に対しての対価、事業が収益を上げて税金を支払うこと、社会に貢献していく“社会正義”をこだわりをもって提唱されています。コンプライアンスという言葉は、使いたくありませんと小嶋氏。日本の法律は明治時代にでき、戦前・戦後一部改正されたとは言え変わっていない、日本では議論をしても結論が出ない、実際に法律が変わるのは事件が起きてからです、と日本の社会の仕組みの構造的な欠陥に触れられました。「両備グループでは、社会悪と分かった瞬間に儲かっている事業でもその時点で止める、自分の企業を続けたければ悪いことをしてはいけない」と常々話しておられるそうです。
 経営方針その二“お客様第一”。「社員には現状で最高のものをお客様に提供し、お客様第一だと思ってやってくださいと言っています」「大事なことは、皆その方向に向いて仕事をしているかどうか、ということです」と小嶋氏。
 経営方針その三“社員の幸せ”(社員への思いやり)。これを出したら「労使交渉ができない、ベースアップ3,000円、それが社員の幸せです」と社員に大反対された小嶋氏、社員の幸せとは賃金、労働条件の話ではないことを社員に説明されました。小嶋氏考案の幸せの方程式、「健康×能力×やるき=社員の幸せ」、何と分かりやすい数学でしょう。この方程式は子育てにも通用するのではないでしょうか。「1×1×1=1」、しかし3つのうちの1つでも“0”だと、全て0になります。小嶋氏は、「人間は健康であれば、どんな条件下でも生きていけるんです!」と、健康づくりセンターを作り、3年間の改善計画を立て、健康教育を実施されました。また、能力開発については「両備大学、両備大学院」を設置しました。大企業に負けないキャリアを積んでもらい、健康とモチベーションを上げることによって自分で自分の幸せを掴むたくましい社員を育てることが一番、と力説されました。幸せとは人から貰うものではなく、自分で掴み取るものなのです。
 大企業と地方の企業では色々な面で対応が異なることを話されました。基本的に利益優先は地方企業ではできないとのこと。

 小嶋氏は14年前両備グループの代表に就任された時、東京と岡山の違いについて調べられ、その結果、学歴、能力・・・特に大きな違いはないのに岡山の方が遅れている原因は「スピード」だということを突き止められました。そこで作られた規範が「知行合一(ちこうごういつ)」、「すぐやる・必ずやる・出来るまでやる」で、かなりスピードアップしたそうです。
 忠恕という言葉、忠はまごころ、恕は思いやりであり、これは先代の松田与三郎氏の戒名(天海院忠恕一貫居士)の中に見つけたと述べられました。本来は院殿と付けられる戒名でありながら、ご自分で戒名を付けられたので、殿はありません。意味は「空よりも高く、海よりも深く、まごころからの思いやりを一生貫いた男です」であり、小嶋氏は「忠恕」を100周年が終わった次の100年の計を立てられる際に理念に据えられました。「トップは、社員の首切りをする前に、まず自分の首を切れよ、ということです。それがまごころからの思いやりだったのです」と説明されました。
 「景気が悪くなると余剰社員が増えます。その社員の働く場所を作るために多角化を行ってきました」「一番景気の悪い時に会社を作るため、それ以上悪くならず、必ずよくなります」と小嶋氏。58社中黒字が57社だそうです。「不景気の時にリストラをすると、今のようなアベノミックスになると人手不足になります」「人集めをしても3年くらいは使い物にならないのです。私共は景気の悪い時も皆で我慢して、景気が良くなったら全員が仕事につけるよう、心がけています」と言及されました。小嶋氏の乗り切り方に大きな拍手が寄せられました。

 小嶋氏の再生着手を後押しするきっかけになった人物、元禄時代に岡山にいた英傑、津田永忠の話をされました。津田永忠は、「豊かな岡山、教育県岡山」と言われる基礎を築いた人物であり、2千数百町歩の干拓日本三大名園後楽園、閑谷学校、倉安川吉井閘門(現存するパナマ式運河で世界で2番目に古い)を造った岡山の英傑です。岡山藩の財政と干拓による大洪水の予測により、陽明学者 熊沢蕃山が干拓に大反対した際に永忠は、藩のお金ではなく以前の藩の借金を全て返済し信用を得ている堺の商人から自分が借りて干拓工事を行うと宣言したそうです。大洪水の心配は「新しい土木技術―満潮時には閘門を閉めて水が上がってくるのを防ぎ、大水尾(おおみお)を造って水を貯め、干潮時に閘門を開いて排水する」ことにより防ぐことができる、そうすれば洪水は50年に一度に抑えることが出来ると言ったそうです。49年間食糧を生産して1年間分を蓄えておけば、洪水を乗り越えることができる、まさに保険の大先生ですね、と小嶋氏は当時を振り返られました。
 小嶋氏が両備グループのトップに就任された14年前、マイカー時代の流れで日本政府は「規制緩和」を行い、潰れるところは潰れても仕方が無いという方向へ向かい、地方の鉄道会社、バス会社共に赤字が当たり前の事業になりました。小嶋氏は、ヨーロッパと日本との比較を行い、地方の公共交通を守るには「公設民営」しか生き残る手段はないことを明言されました。
 相談がまず三重県津市から舞い込み、小嶋氏の助言が生きて公設民営を実証実験成功例となりました。次に、南海電鉄貴志川線の廃止が決まり、地元の人たちが「貴志川線の未来を作る会」を結成、手弁当で駅の清掃やイベントをして「乗って残そう貴志川線」というキャッチでローカル線を残す運動を展開し、小嶋氏のところへ相談に来られたそうです。地元の人たちの熱意に押された形で再建にゴーサインが出され、2006年開業時に出向かれた小嶋氏は、正直10年もてばいいと考えていた住民達の前で「私は和歌山電鐵貴志川線の10年間の再建に来たわけではありません。20年後、30年後の地域鉄道を守るためにやって来たのです」と話されました。小嶋氏は、貴志川線の一つ一つの駅周辺を歩いて問題点を洗い出しておられたのです。その時に実は、貴志川線の再建のメドはたっていたそうです。貴志川線沿いには三社参りで有名な「竈山(かまやま)神社」「伊太祁曽神社」「日前・國懸(ひのくま・くにかかす)神宮」があり、観光資源が豊かだったのです。そして、日本全国に木を植えた神様は「伊太祁曽」であり、智の木協会の神様は「伊太祁曽神社」の神様ですよと教えていただきました。また一方で、給与体系を見直されました。貴志川線が忙しいのは朝夕2時間ずつ、残りの4時間は暇なのでその時間に他の仕事を入れていく、つまり「縦に横の仕事を入れていく」ということを実行に移され、結果、赤字の解消ができ再生のモデルになり鉄道のみ「公有民営法」ができたそうです。

またある時、年間12回のストライキを行う労働組合を擁し、ついに倒産した中国バスの再建を依頼されました。ここで小嶋氏は徹底的に分析された結果、経営努力が補助金獲得に向かっていることを突き止められました。
 バス車体の値段は両備さんより1,000万円、燃料はリッター当たり10円高く、部品は3倍、赤字会社でありながら、賃金も両備さんよりも高かったそうです。要するにコストを下げると補助金が減る、それに乗じた労働組合ストライキをする、客が逃げても補助金がくるという悪循環。補助金制度から公設民営へと移行している最中に「地域公共交通活性化再生法」ができたそうです。
 節約するとインセンティブという画期的な補助金制度の導入を促しましたが、自民党が負けて民主党になり、今度は高速道路料金を無料にするという話になり、小嶋氏は公共交通の終わりではと危惧され、実態を岡山県選出の3人の衆議院議員に説明されました。「高速道路料金無料にして2兆5千億円費やしてそれが国民目線ですか?日本の地域公共交通を全部タダにしても7千億円ですよ。どちらが国民目線ですか?」と。すぐに国土交通省の三日月氏(現滋賀県知事)が飛んで来られたそうです。
 ところが今度は地元岡山県の西半分を営業していた井笠鉄道が倒産、小嶋氏が以前著書に記しておられた通りのことが起きてしまったとか。「公設民営」もうまくいかず、小嶋氏の造語「公設民託」でいくしかないことを話されました。
 この件で、審議に当たった議員達は超法規的措置をとり、井笠鉄道は存続できたのだそうです。その時の代議士が、当時の内閣官房副長官 岡山県選出の加藤勝信氏。平成19年10月に「地域公共交通活性化法」が成立。その後も国土交通省で抜本的改革の必要性を陳述してこられましたが、政権交代による廃案など紆余曲折、平成25年11月12日開催の国土交通委員会参考人として陳述なさり、ついに11月27日、「交通政策基本法」が成立しました。この法律をつくるために奔走しておられ、それが南海電鉄貴志川線再生に繋がったと話され、「公共交通は今後、国・地方公共団体・事業者・市民が一体となって守っていく必要があります」と結ばれました。
 参加者は全員「たまちゃん」の話を伺わずして帰るわけにはいきません。小嶋氏によりますと、三毛猫のたまちゃんは貴志駅の隣の売店で飼われていましたが、猫舎が公道にあり撤去を命ぜられ、飼い主が何とか駅においてくださいと小嶋氏に頼んだそうです。「うちの三毛猫は女の子だけど100万はする」と飼い主に言われ、血統書付きの紀州犬(天然記念物)を飼っておられる小嶋氏としては
「何と!」と。また、当時ブラウン管に登場していた動物は、白い犬、チワワのみ。100万円もすると言われたたまちゃんに会いに行かれ、そこで目が合った途端「この子は駅長だ」と直感されたそうです。駅長就任式を企画しホームページに流したところ、当日(2007年1月5日)は黒山の人だかり、テレビカメラ6局、大手新聞全てが取材に来ており、その中にNHK本社からも。取材に対して小嶋氏は「この鉄道はお客様が少なくて廃線の憂き目に遭いました。従って、たま駅長の主たる業務は客招きです」と答えられたそうです。その答えにキャスターが大笑い、カメラマンも大笑い、周りの300人くらいの人たちも大笑い、その瞬間の映像が5分間、NHKの夜の9時のニュースで流れ、大ブレイクに繋がったそうです。小嶋氏は猫が仕事をするなどとは毛頭思っておられず、たまちゃんを駅におくことを周知徹底するために「駅長」に仕立て上げたのでしたが、実際にたまちゃんの仕事ぶりがネットでドンドン紹介され、和歌山県で11億円の観光収入が見込まれることになりました。たまちゃんの仕事ぶりとは、朝5時から帽子を被って改札台で乗客を見送り、夕方5時には帰宅者をお迎え、暇な時はホームの見回りをするという人間顔まけの働きぶりでした。今やたまちゃんは社長代理です。
 小嶋氏は、「公共交通の法律ができた裏には、たまちゃん達のすばらしい働きがあったこと、市民・行政の方々の応援があってこそ」と話され、「力を合わせれば国までも動かすことができるんです」と結論づけられました。
 
閉会のご挨拶:智の木協会 企業正会員
株式会社フジキン 島田和男氏
 
 ご参加の皆様にお礼を、小嶋氏へ「企業家はカク有り
なん!と思われますご講演を賜り、私共企業にとりましても参考にさせていただくことが多々ございました」と感想とお礼を述べられました。
 冒頭、特別顧問の平井様から智の木協会の位置づけについてお話いただきましたが「智の木協会が社会
先導の重要な役割を担う組織として活動していく、まさに、知をもった方々が大樹の下に集い、天下国家を語る組織へと発展させていきたいとの思いで、協力さ
せていただきたいと思っておりますので、ますますの皆様方のご協力・ご支援を賜りたい」とお願いされました。
また、次回のワークショップを11月に開催予定であることを報告され、シン
ポジウムを閉めくくられました。 

 シンポジウムには80名を超える方々、交流会には50名を超える方々にご参加いただき、大盛会でした。
 月桂冠株式会社様より乾杯酒「笠置屋」をいただきました。